天然村グルメツアー

大晦日の天然村は寒かった。
海のエリアまで車で20分位だが、おそらく2,3℃違うだろう。
私が以前、海のエリアに住んでいた時は、車のフロントガラスが凍った事はなかった。

しかし、山のエリアにくると朝は冬景色である。
辺り一面に霜が降りていて、車のフロントガラスも凍りついていた。
そんな中でも、野鳥達は元気な声で朝を迎えてくれる。
何種類もの野鳥は四季を通じて、日の出と共に大合唱が始まる。
昔当たり前だった光景が、今は都市部の人口的に作られた公園からは聞こえてこない。
天然村の朝は地元の人達では当たり前の感覚でも、たまに訪れる人達にとってはとても心が落ち着くようである。
それは夜でも同じようだ。
満点の星空は素晴らしい。感動して、しばらく空を見上げたままになっている。

今回のグルメツアーは義母の為に企画をして、妻と次女の四人でやって来た。

一日目のランチは具猇(ぐこう)というカフェに行った。
ここは今年の11月にオープンしたばかりで、横浜中華街でも行列の店を経営していたという、凄腕シェフが料理を振る舞う店である。
田んぼのど真ん中にあり、一度行っただけでは忘れてしまう奥地にある。
メーンは地元野菜を使った料理である。
中華風に野菜をソテーしたものは絶品で、食通をも唸らせる一品である。
オードブルでは、水餃子、豚の角煮、アジの刺身を漬けにしたもの、オリジナルな大根漬物は
みんなを喜ばせるばかりでなく、料理の幅の広さに感動していた。
次回は天津飯と担々麺を食べてみたい。

一日目の夜は近藤牧場直営のイタリアンVENTOに行った。
ここは、お任せメニューにして、主人自慢の料理を楽しんだ。
メーンはモッツァレラを使った料理である。
マルゲリータのピザを食べた感触は忘れられない。
口の中でとろけるチーズとトマトソースが絡んだ生地はまさに神業であった。
その他、砂肝のバター焼き、海鮮サラダ、リゾットは何れも他の店では味わう事が出来ない、地元の素材を活かした素晴らしい品だった。
おまけに、シュークリーム、プリンも出てきた。
牧場主ならの素材を存分に活かしている。
生クリームが天然のスマートさに加えて、程よいミルクの濃さが癖になりそうな一品だった。
全員が大賛辞を送り店を後にした。

二日目の昼はそば屋加瀬に行った。
ここは里山の中にあり初めて店に入ることが難しい場所なので、口コミ以外には知る事の出来ない店である。
メーンはそばの他にそばがきが圧倒的なセンスを出していた。
わさびとネギを合わせて食べると、最高の酒のあてになるのだ。
もりそば、ニシンそばがコースの主軸に相応しい味わいを醸し出す。
特に腰のあるそばは絶品で、そば通にはつゆの味わいは突出している域を体験するだろう。

今回のグルメツアーはこの三店だったが、まだまだ連れて行きたい店がたくさんある。
奥の深い天然村のグルメツアーはやはり三日間は必要かも知れない。

駄目オヤジ

先週は次女の誕生日だった。
4人兄弟の末っ子で中学1年生になる。

プレゼントは何が欲しいか聞いて見たところ、iPhone5Sがいいと言うので、価格を調べてみると5万円を超えるので、高いから駄目だと言った。

すると、欲しいものは欲しいし、クラスの友達も持っているから、決して特別ではないと訴えてきた。そして、分割があるから毎月料金と払ってくれたらいいし、と食い下がってきた。

私は分割が嫌いだし、そもそも中学生が持つような携帯ではないと言った。

彼女は機嫌が悪くなりぐずり出した。

私は追い打ちをかけて、予算は5000円だと伝えた。
すると、そんなんじゃ何にも買えないし、ふざけないでよ!と捨てゼリフを吐いた。

私は今まで彼女が末っ子なので、かなり甘やかし過ぎた事がツケとなって返って来たのだと思った。

可愛くて仕方がなかったので、つい彼女の喜ぶ姿が見たくて、リクエストにはなるべく答えてきたし、むしろこちらから差し向けていた方だった。

自然に私に対して彼女は強気相場になって、他の三人の子供達とは違う関係、父親の威厳が全く通じない駄目オヤジになってしまったのだ。

リビングでテレビを見るのも彼女の影響が一番強い。
私の意見は覆されるのだ。
おまけに、風呂にも私が先に入れない始末。
パパが湯槽に入った後は、きたなくて嫌だからとバッサリやられるのだ。

悲しくなる気持ちを抑えながらも、弱気相場になった関係を修復するにはどうすればいいのか考えていた。

しかし、今頃になってプレゼントの予算を下げたところで、最終電車は行ってしまったのだ。

仕事でもよく言ってる言葉だが、相手を変えるのは甚だ可笑しい事で、まず自分が変わらなければならない、相手を変えようと一生懸命に何とかしようとしても、相手は変わらないのだ。
まずは自らを変えよ。

この言葉が頭をよぎった。

やり方ではなく、小手先の何かでもない、私の在り方が変化しなければ次女との関係は駄目オヤジのままである。

まだ、小学生の時は可愛くて、しつこくかまい過ぎても拒否られなかったが、それも懐かしい思い出である。
これからは年を重ねるごとに、そんな感情も益々遠のいて行くのだろう。

強気と弱気が交錯している株式市場の相場のような心境である。

究極の食事

これほどの価値を感じた店が他にあっただろうか。
料理は抜群の美味さで、間違いなくこれまで行った店の中で三本の指に入る。
素材で勝負する店は、鮮度が一番なので、料理人の技術だけではどうにもならない
ものがある。
しかし、丹念に仕事をする料理とは正にこの事だと認識させられたのだ。

素材に手を加え熟成させる。
この手間をかけると、鮮度がいい素材よりも美味しくなる。
寿司のネタでもそうだが、何日か寝かせた方が旨味が出るのと同じだ。

調味料の醤油などは手作りで、三年熟成させたものを使っている。
これだけで、酒のあてに出来る位だ。
胡麻も燻製にしている。
ほとんどの口に入るものを燻製にしているのだ。

赤坂の裏路地から更に奥に入った地下にある。
典型的な隠れ家レストランである。

その名も「燻」
燻製にこだわった由来からである。

洋食をイメージした通り、カウンターバーの設えになっていた。
カウンターからは多数の洋酒が並んでいた。

メニューは無い。
飲みものも含めて全てお任せなのだ。

ここの素晴らしいところの一つに、食べものに合ったお酒がセットで出てくる事だ。
シャンパンから赤、白ワイン、日本酒、古酒、ウイスキー、カクテル、焼酎など、
世界各地を回って現地で試飲したものを取り入れている。

そんなわけで、お酒が飲めないと価値が半減してしまう。

前菜の次にきたのは何と鮨だった。
握りが出るとは驚きで、次々に出てくる料理が和と洋を熟成させた、度肝を抜く美味さをこれでもかと、言わんばかりに出てくる。
おまけに、抜群の相性の白ワインや古酒だったりと、絶妙な組み合わせで楽しませてくれる。
これが、他の店には無い発想で、店主の卓越したプロデュースである。

店主は全てオリジナルで、どこかで修行した経験は無く、独自の発想と開発で培った技術だというのに驚愕した。
確かに既成概念ない発想の調理であり、野菜、魚や肉、スープ、刺身、締めのオムライス、
デザートのショコラ、どれを取っても他では食せない、芸術的な域までの食を味わえる。

お会計は一人3万円超するが、それでもコスパは高く感じられる店であった。

担任の先生

ラリー初日、スタート直後に携帯電話が鳴った。

私は誰か解らなかったが、スタートの興奮も手伝ってパッと出た。
何と次男の担任の先生だった。

先生はやや厳しい口調で、進路に関しての話をしたいとの事だった。
この時期は高校受験で、最終進路を決める先生と親子の三者面談のピークである。

次男は今年からほとんど登校しておらず、たまに学校に行くも続かないし、遅刻も当たり前になっていた。
当たり前の話しだが、学校を休んだり遅刻する場合は学校に連絡するのは常識だが、それが日常化すると、学校へ連絡もしなくなっていた。

電話で先生からその事を指摘された時には、私も返す言葉がなく動揺してしまった。
先生には面談も含めて、帰国したら連絡して学校に伺う話しをした。

そんな最中、既にレースは最高のテンションになっていた。
台湾市民の歓声に包まれながら、市街地からハイウェイに向かっていた。

私の頭は先生との面談と親としての対応を考えていた。
進路を決めるピークに私はラリーに来ていて、その件は全く頭の片隅にもなかった。
これは事実であり、欠席や遅刻の学校に連絡する事についても、不登校が日常化していたのを理由に意識していなかった。

私はラリーの興奮から、現実の問題にシフトしてしまっていた。
とにかく、帰国したら次男と話しをして、次に学校に行って先生には真摯に対応しようと決意して、ラリーを楽しむように自分に言い聞かせた。
しかし、初日は自分の親としての在り方を考えながら混沌としていた。
しかし、2日目には完全に吹っ切れていた。

赤坂中学校に行ったのは入学式以来だった。
担任の先生とはジョギングの最中にバッタリ会った事が何度かあったが、ゆっくり話をするのは家庭訪問以来だった。

私の意見を率直に申し上げた。
長い人生の中でここ一年や二年挫折したからといって取り返しが効かないことはないと思うので、この時期に高校の進路を明確にするより、進学することを今決めることを優先しないと言う意見を伝えた。

先生も同意してくれた。

次男には今後卒業するまで、欠席や遅刻する際は必ず自ら学校に連絡する事を言い聞かせた。
壁に当たると、その事から逃げる癖を自ら克服する以外に次の道に進んでも、同じ事が繰り返すだろう。これが、社会人になったら家庭を持つのは勿論、単身でも社会人としては難しいのは明らかである。

この親としての対応は賛否両論あるかとは思うが、私はこの方針を貫き通すつもりだ。
外部からの影響で動く人間より、自らの意思で動く、問題から逃げるのでなく、直面して悩み苦しむプロセスを体験する。

今回も次男には簡単に進学させるつもりはない。

ラリーニッポンin台湾

車のキーを受け取ったのが、レース前日の夜だった。
出場する当日まで、どんなルールでどの車で走るのか、私は全く知らなかった。
いや、あまり気にしなかったのだろう。

しかし、国内ならともかく、台湾で今まで乗った事のない車で、おまけにクラッシックカー
である。
急に不安になってきた。
車の操作も走りながら考えるしかないし、台湾市街のバイクもよけながら走る覚悟を決めた。

台湾でのイベントがいよいよ大詰めとなった。
4日間に渡り、台湾を一周するラリーは非常にタイトである。
今日は最終日で台北に戻る。

今回のラリー日本の台湾開催が決まった理由は311震災義援金に
対する御礼であり、台湾が異例の額を日本に供与したことの感謝の現れである。

しかし、何故全くもって出場する理由がない私が参戦することになったのか。
ラリーニッポンは本来国内にて、日本を元気にするべく、全国の歴史や文化をラリーで
巡ることが目的で、言わば我々の事業である天然村と通じるものがある。

それが引き寄せとなり、友人を介してご縁が出来たのである。

私の車は1956年のボルボである。
外からでは全く解らないが、エンジンは5000cc、V8で足回り、ブレーキなどフルチューンナップをしたモンスターカーだったのだ。

しかし、スピードメーターは動かないし、燃料ゲージは壊れている。
アクセスをベタ踏みしても何キロ出ているか解らないし、ガソリンもどの位減っているか見当がつかない状態だった。

そんな不安の最中、サーキットコースでやらかしてしまった。
夕暮れ時で、辺りも暗くなり始めていた。
急にエンジンがふかなくなり、アクセルを踏むも効果なし。
ガス欠してしまった。

暗闇の中、一台残されてしまったのだ。
直ぐに携帯で連絡したが、なかなか繋がらず焦ったが仕方が無いと待つことにした。

今回のレースには様々なボランティアの方々がいる。
現地の人、日本から来た東大の学生、メカニックや裏方さんがたくさんいる。

そのボランティアの方が給油に駆けつけてくれたのだ。
ありがたかった。
それからガソリンスタンドに先導してもらい無事にホテルに戻ることが出来た。

このラリーは参加者はもちろん、スタッフや裏方の人達全員が繋がって成り立つ
大イベントだった。
台湾を回っている最中も歓声が凄い人数で、途中休憩の場所では大勢の方が迎えて
くれていた。

台日交流はこのラリーをもって充分に果たしただろう。
主催者のK氏もあらゆる方向に神経を配り、頭が下がる思いであった。

最終日の今日は有終の美を飾って、帰国できるだろう。