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社長ブログ2013.12.01

ラリーニッポンin台湾

車のキーを受け取ったのが、レース前日の夜だった。
出場する当日まで、どんなルールでどの車で走るのか、私は全く知らなかった。
いや、あまり気にしなかったのだろう。

しかし、国内ならともかく、台湾で今まで乗った事のない車で、おまけにクラッシックカー
である。
急に不安になってきた。
車の操作も走りながら考えるしかないし、台湾市街のバイクもよけながら走る覚悟を決めた。

台湾でのイベントがいよいよ大詰めとなった。
4日間に渡り、台湾を一周するラリーは非常にタイトである。
今日は最終日で台北に戻る。

今回のラリー日本の台湾開催が決まった理由は311震災義援金に
対する御礼であり、台湾が異例の額を日本に供与したことの感謝の現れである。

しかし、何故全くもって出場する理由がない私が参戦することになったのか。
ラリーニッポンは本来国内にて、日本を元気にするべく、全国の歴史や文化をラリーで
巡ることが目的で、言わば我々の事業である天然村と通じるものがある。

それが引き寄せとなり、友人を介してご縁が出来たのである。

私の車は1956年のボルボである。
外からでは全く解らないが、エンジンは5000cc、V8で足回り、ブレーキなどフルチューンナップをしたモンスターカーだったのだ。

しかし、スピードメーターは動かないし、燃料ゲージは壊れている。
アクセスをベタ踏みしても何キロ出ているか解らないし、ガソリンもどの位減っているか見当がつかない状態だった。

そんな不安の最中、サーキットコースでやらかしてしまった。
夕暮れ時で、辺りも暗くなり始めていた。
急にエンジンがふかなくなり、アクセルを踏むも効果なし。
ガス欠してしまった。

暗闇の中、一台残されてしまったのだ。
直ぐに携帯で連絡したが、なかなか繋がらず焦ったが仕方が無いと待つことにした。

今回のレースには様々なボランティアの方々がいる。
現地の人、日本から来た東大の学生、メカニックや裏方さんがたくさんいる。

そのボランティアの方が給油に駆けつけてくれたのだ。
ありがたかった。
それからガソリンスタンドに先導してもらい無事にホテルに戻ることが出来た。

このラリーは参加者はもちろん、スタッフや裏方の人達全員が繋がって成り立つ
大イベントだった。
台湾を回っている最中も歓声が凄い人数で、途中休憩の場所では大勢の方が迎えて
くれていた。

台日交流はこのラリーをもって充分に果たしただろう。
主催者のK氏もあらゆる方向に神経を配り、頭が下がる思いであった。

最終日の今日は有終の美を飾って、帰国できるだろう。

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