アクアライン

週末の午後3時を過ぎると渋滞になる。
木更津方面から東京へ帰る人達の車で溢れている。

天然村へ行く時は必ずアクアラインを利用する。

今日も帰りにしっかりつかまってしまった。
以前はこんなに混雑していなかった。
木更津に出来たアウトレットモールが要因しているのか、トンネルを抜けるまで1時間以上は要する。

晴れの日はバイクで行くのが一番である。
車と車の間を走り抜け、実に爽快な気分で車の群れを後にする。
この前もバイクで六本木から天然村まで1時間で到着した。
帰りも渋滞だったが1時間20分で帰る事ができた。

東京からアクアラインを越えると空気が一変する。
まったく違う世界に入る感じで空気がすごくおいしく感じるのがわかる。
また、景色も田園風景が広がり心が落ち着く。

一方で、逆方向の木更津から東京へ帰る際は、アクアラインの近くから見る風景は、灰色のビル群が不気味に一直線に並んでいる。
本当にまったく違う世界に映る。

実は何年も前にある夢を見たことがある。

車を走らせていたら突然地震がきたと思うと橋が倒壊する。
落下する寸前に止まって助かるのだが、一歩先は断崖絶壁状況で下を見ると何と海だった。
呆然と立ち尽くしついるシーンの同じ夢を何度も体験したことがある。
不思議に思っていたが、何とその風景がアクアラインにそっくりなのだ。

勿論、当時はアクアラインは存在すらしていなかった。
それが未来を予知する正夢だとしたら、頻繁に利用する私が夢のシーンに出くわすこともありうるのか。

そんな回想をしながら渋滞している車中で、果たしてどちらの世界に残るのが良いのか考えてみた。
タイミングが少しズレていたら倒壊した橋の向こう側にいるかも知れない。
それは、田園風景が広がる澄んだ空気の世界で、海の幸や山の幸が豊富でゆったりとした時間が流れる生活である。

手前は遠くから眺めるとよくわかる不気味なビルが立ち並び、便利で何でも手に入る世界だが、人類が歩んできた自然との共生とは真逆の世界。

果たして自分はどちらの世界が馴染むのか。

2つに1つの選択ならば橋の向こう側の世界の方が馴染めるかも知れないと思った。

風呂敷

20年位前に言われた言葉が蘇った。
当時、先輩経営者の自宅におじゃました際、手ぶらだった事に将来もっと大きい人物になりたかったら、この程度の気遣いはマストだよ。

今でもハッキリと覚えているが、まるで実践に至っていない事に直面させられた。

最近色んな場面で近くお付き合いをさせていただいている方にM氏という人物がいる。
M氏は私に遠慮なくビシバシと本音を言ってくれる。
当たっているのだが、言われる方は一瞬頭にくるし自分を全否定されているようで、ちくしょうと言う気持ちも正直湧いてくる。

しかし、この年になりまた立場上言われる事のない私にとっては、大変ありがたいことである。
20年前に言われて以来、このテーマが新たに現れたのは非常に尊い事だと捉えている。

先日もM氏を訪ねる機会があり、そこにはいつも顔見知りのメンバーがいる。
私は例のごとく手ぶらでやってくると、M氏は世間話の合間から言った。
あなたは人に気を配る事をしなさ過ぎる、いい大人なんだから恥ずかしいと思いなさい。
昔はご挨拶で風呂敷に包んだ大切な贈り物を渡す習慣のことを話してくれた。

風呂敷は品物を包むものとして当たり前に存在していた。
それは、相手に対しての気遣いであり、配慮であって現代では風呂敷文化は希薄になっているが、その行為そのものは不変である。

従って、あなたは周りの人にそれをやる必要がある。
今この瞬間からやって御覧なさい!

小っ恥ずかしいやら、悔しいやら、様々な感情を持ちながら新宿伊勢丹まで歩いていた。
歩いている最中に20年前の事を思い出したり、当日参加してきた友人の10周年イベントに花も添えてやらなかった自分を恥じていた。

もはや気がつかないでは済まされない。
気づくようにしていく努力なり、土台を構築して行くしかないようだ。

よく気がつく、気遣いがある、気配り上手、配慮がある、この分野ではまったく素養がないことにあぐらをかいていたようだ。

本来、生まれ持った素養はあるかと思うが、本人の自覚と努力次第で何とかなるようだと感じられた。

我が家の15歳の娘は私より気がつくようだ。
それもサラッとこなす感じで、その辺は母親譲りのところだと思う。
こんな感じに自然に出来てしまう素養がある人もいるが、私のような者は気がつくまで自覚を高めると共に土台をしっかりと築きあげる必要がある。

それまでは、M氏に苦言を呈されながらも、感謝しつつサラッとかっこいい振る舞いができるようになりたい。

ヴィバッサナー瞑想

10年前になる。
初めて参加をしたのが、京都の施設でヴィバッサナー瞑想を体験した。
京都駅から私鉄に乗り換えて降りた駅には、黒人女性から白人の人々が目についた。
今でも強い印象に残っている。
海外から体験しに訪れるほど貴重なものかと、当時はワクワクして初日を迎えたような思い出がある。

このコースは10日間ずっーと1人で瞑想しているだけなのだ。
しかも、早朝4時から夜9時まで座りっぱなしで、誰とも話しはしてはいけないし、おまけに誰とも目を合わせてもいけない、自分とのみ向き合う時間を10日間過ごすのだ。
そして、外部からの連絡や通信も閉ざされる。
本当に緊急時に限りそれは許されるが、コースの最中に起こることは滅多にないようだ。

私の場合は、仕事で連絡があったが、取り次いでもらえなかった事があった。
その程度では駄目らしい。
しかし、仕事に戻るとお客さんはカンカンに怒っていた。
事情を話すも理解を得られるどころか、かえって火に油を注ぐことになった。

よく考えれば当たり前の事だが、当時の私は誠意を尽くして説明したつもりだったが、一般的には理解を得られる領域ではない。

だからと言って決して怪しい団体でもなければ、オカルトチックなものでもない。
誰か指導者がいるわけでもなく、料金も任意により人様々な金額としている。
インドで例えるとセバと言うボランティアの人々のサポートなくしては成り立たない運営とされている。

私の経験では、呼吸に合わせて身体の感覚を覚識していくプロセスになる。
要するに身体の感覚のみを感じる瞑想なので、無になるとか座禅のような足が痺れるとかではないのだ。

ただただ、毎日自らの身体の感覚を感じる。
そうすると、何日目だろうか、変化が出始めた。

うろ覚えだが、昔感じた身体の感覚が再現されて、それが解消されるようなセンスだ。
それは、精神的な面と肉体的な面の両方をカバーするようだ。

今回は8月のお盆休みを利用して新しく新設された千葉県で参加する。
10日間は長く感じられるが、新たな境地を巡る旅に出るようなワクワク感がある。

私の友人に話をしたが、自分には縁遠いことだし、やりたくもないと一蹴されてしまった。

一般的には馴染みがなさそうである。

最近のトピックス

AKB総選挙を見て不覚にも涙してしまった。

たかみなのスピーチに感動した。
彼女のもってる人間力に魅了されてしまったのだ。
そして、総監督としての資質もさることながら、AKBに投票した人以外の私のような一般人にも、この総選挙イベントを大変意義あるものにアップデートしたように思った。

一方で、一位になった指原は賛否が分かれるようだ。
キャバクラの女の子は仕事を辞めたくなったと言っていた。
価値観や基準にギャップがあり、ショックを受けているのは女子に多いのかも知れない。
しかし、この総選挙イベントは益々世間の感心を集めて行くだろう。

話はがらっと変わるが、最近はすっかり1日一食が定着してきた。
しかも一回の食事の量も減っている。

私の顔を見る人達は痩せ過ぎてるとも言う。
本来は、ダイエット目的での減量ではなかった。
花粉症を解消する為に食べ過ぎてる習慣をシフトすることにあったのだ。

おかげで、花粉症は治ったが、食べる楽しみは大分減ってしまったようだ。
つまらない奴になってしまったのだ。

そこで、徐々に食べる量を増やしていこうと思っている。
朝食に玄米と味噌汁を食べて、あとは夜に好きなものを食べようと思う。

キックボクシングやバイクを乗っていると体力を要するので、雑穀料理だけで1日一食だとフラフラになってしまう。
また、社交ダンスも意外と体力を要する。
先日に急遽、社交ダンスの発表会に参加するように要請があった。
ビックリ仰天してしまったが、cha-cha-cháを担当する場面での起用になったのだ。
音楽に合わせてステップしながら、相手の女性をリードしなくてはならない。
今回の曲はシャ乱Qのズルい女をテーマにしている。
従って、女性陣は悪女の設定になっているので、男性一人の私は悪女にふんする彼女らに囲まれながらの演技になる。
何とも言えない心境である。

当日まで約一ヶ月になってから知らされてもという思いがあったが、切り替えて練習するしか道はなさそうである。