地産地消

百姓というのはどこからきた言葉か知っていますか?
私が師と仰ぐ方がおっしゃるので、よくわかりませんと答えた。

それは、古来農業を生業とする者は100種類の農産物を収穫していたことから、百姓と呼ばれるようになったとのこと。
もちろん、一度にたくさんの品種を生産するのではなく、四季を通してその時節に合った野菜なりを収穫する。
それは、自給自足から始まり豊富に取れた時にはご近所にお配りしていた。
地産地消と言われるまでもなく、それがごく当たり前の時代だった頃の話である。

今のように大量に生産して各地に運ばれるようになってからは、出来るだけ品種を絞り大規模な農場で生産されるようになった。
出来るだけたくさんの野菜を作るには、農薬は欠かせないばかりか、都市部に運ばれる仕組みになっているので、コストもかかるし鮮度も落ちる。

そして、それが更に大規模化しているのが企業の農業参入である。
大量生産、大量販売の仕組みによるもので、都市部に運ばれた大量の野菜たちが売り場に並んでいる。

最近、ある大手スーパーでジャガイモを買った。
天然村のキッチンで私がちょっとした料理を振る舞うため、天然村の手作りのジャガイモと比べてみたら、包丁の入り具合がまったく違っていた。
スーパーのものが硬いのに比べて天然村のものは柔らかな感触だった。
そして、大量に生産したものはどこか無機質な印象を受ける。

天然村で百姓の意味を教えていただいて依頼、次に必要とされる事が地産地消にあるのか思考を巡らせていた。
逆視点からの発想だと確かに地産地消になる。
特定少数あるいは、特定多数の消費者へ向けた農業の在り方が、古来からの百姓という由来に重なると思った。

ここから発想したサービスを天然村から発信する。
アクアポニックスの商用システムを来年の4月から稼働させ、生産から消費までの一気通貫としての仕組みを作り上げる。
詳細はまだ言えないが、確実に新しい価値を創造出来ると思う。

天然村×アクアポニックス×地域

この取り組みに心踊り、ワクワクしている。

全国の地方から日本を元気にする。

ヴィジョンを具体的にアクションするステージに入った。

電車ライフ

最近は電車ライフを送っている。

以前から電車はよく利用していたが、免許停止となった今では唯一の移動手段となっている。
そして、最近は特異な場所として感じている。
密閉空間に色んな人が集まる場所であり、色々なドラマが繰り広げられている。

それは、まるでギスギスした社会の縮図のような空間である。
それを物語る体験を幾つか上げてみた。

朝のラッシュ時の銀座線に乗った時である。
混雑しているにもかかわらず、リュックを下ろさずにいる中年の男がいた。
当然に空間が狭くなるので、私は常識がない人だと思いつつも模様眺めをしていた。
すると、どんどん圧力がかかってきて金具のようなものが脇腹に当たって痛いのだ。
何とかこの場面を振り切ろうと思ったが、八方ふさがりで身動きが取れない、おまけに前の男に向かって金具が当たって痛いと叫ぼうにも声が出ない。
恥ずかしいやら、何と言っていいのやらで、痛みを伴いながら少し考えてみたが、言ったところで身動きが取れない状況では意味がない。自ら少しづつ体制をずらしながら回避する方が賢明だと思った。

山の手線では、女の子がどこにも掴まらずにスマホをいじっていた。
すると揺れでダダッーと後退してきて私の足の甲を踏みつけたのだ。
痛みはそれほどでもなかったが、誤りもせずにいる態度に腹が立った。

あとは、電車から降りようとすると、私を押しのけて我先にと空いている席めがけて突っ込んでくるおばさんには怒りよりも呆然と立ち尽くしてしまう。

まぁ、こんな具合に自分の事しか考えない人達や、無神経な輩がいっぱいでストレスを感じずにいられない空間だ。
また、ホームを行き交う人達は能面ビー玉のような表情で歩き、朝のジョギングで行き交う人達のプラス波動に比べると対極のマイナス波動を放っている。

だが、この空間と今後は共に過ごさなくてはならない。
上手に付き合うためにも、何か手立てはないものか。

一方で、利便性に焦点を当てると京浜東北線や山の手線、東京メトロは全てピーク時2分間隔で動く優れもの。
特に都心の地下鉄網は世界一を誇っている。
会社から自宅まで傘が不要だったりする。

しかし、最近は電車が止まる傾向が目立つ。
故障や事故が起きるとお手上げである。

ある日の朝だった。

大幅なダイヤの乱れでホームへの入場制限があり、構内は人でごった返していた。
これはもう無理だと思った私はタクシー乗り場へと向かった。

すると行列が出来ているので仕方なく並びながら考えていた。
このまま並んで時を待つか、バスも人でいっぱいだし、電車も当分動きそうにない。
あとは、タクシーを待つか歩くしかない。

タクシーもなかなか来ない。
歩く選択もありかと、ふと思った時である。
並んでいた人達が行き先をシェアしていた。
意外と目的地は一緒だった。
ターミナル駅に行くと選択肢が広がるので、見知らぬ人同士だか目的地が一緒ならば、並んで待っている時間が節約になるばかりか料金も割り勘で4分の1になる。

この結束力に関心した。
まるで311の災害時のように見知らぬ人同士が結束している姿を垣間見る気がした。
私も自然とそのコミニティに入っていた。

電車も止まる事の多くなってきた時代には、こんな光景は増えたのかも知れない。
何か場慣れした人達が集まっていたかのようである。

まだまだ続く電車ライフをどのように過ごしていくか。
本や新聞も読めるし、メールをチェック出来るし返信したり、企画を考えたりする有効な時間として効率的な面もあり、車では決して出来ない大変有意義な時間を過ごせる。

混雑時には、リュックを背負った人には近付かない、どこにも掴まらずにスマホをしている女の子は避けて、降りる時には突っ込んでくるおばさんをいなせばいい。

様々な体験を通じて対処法を進化させて行きたい。

行政処分

品川から京急で鮫洲駅で降りた。

鮫洲試験場へ電車できたのは今回が初めてだった。
6月28日にオービスに映ってから約130日後にして免許証を渡して行政処分を受ける事になった。

90日以上の処分者を対象に公聴会という場を設けて、対象者20名ほどが一つの部屋で皆んなの前で処分に至った経緯と内容を確認し、意義があれば申し立て出来るというプロセスが法律で定めているらしい。

部屋に入り周りを見渡すと全員男性で20歳から70歳くらいまでが20名ほど集まっていた。
ここにいる全員が90日以上の免許停止処分を受ける連中という事になる。

私は12点がオービス、路上で2点の計14点だと認識していた。
他の連中は何点でどんな違反をしてここに来たか聞ける機会なので、退屈せずに過ごせるので安心した。

私は2番目に呼ばれ前に出て質問官とやり取りが始まった。

あなたは何でスピードをこんなに出したのですか?と聞いてきた。
私は今さらそんなことを聞かれても困りますという心持ちだったが、わざと困惑した表情を浮かべながらも、朝早くて車が空いていたのでつい速度を出したようです、と答えた。

すると先方は、速度制限は何キロだと認識してましたか?
私は100キロだと思っていました、オービスが光ったのは見えましたか?私は見えませんでした、とこんな具合にもう既に警察に何度も答えた質問内容だったので、淡々と無表情で答えた。
最後に何か意見や質問はありますか、と聞かれたのだが、今さら何を意見しようと事態が好転するわけもない事くらい知っているので、早く終わって帰りたいと思っていた私は何もありませんと答えて終了し、3分位の問答だった。

その後の問答を聞いていて印象的だったのが、若手はもう二度といたしません、申し訳ありませんでした、といった表面上は極めて反省した態度で臨んでいたのに対して、年配の方になると、こんな事になるとは思わなかった、見えなかった、私は悪くないから点数を軽くしてくれと正当化する傾向があった。
だからと言って、若手は二度としませんなどと言っているが、私はまたすると確信している。
もうしませんと言い張るほど、またやってしまうだろう。
そんな事は言わなくてもいいからだ。

一方で、年配の輩は往生際が悪いかと言えばそんな事はなく、潔くないだけで正当化して自分は悪くない、警官が悪いと他人原因論になっているだけだろう。
中には数ヶ月の間に何回も捕まる運の悪い人もいた。

しかし、全体の7割近くは私と同じで前歴はなく、一発のスピード違反で赤切符になっていた。
前歴があると90日を超えて免許取消処分になるからだ。

そして、この点数の仕組みが凄く複雑になっているのだ。
今回初めて知った事がある。

私の場合、14点なのでこの後1年間で1点を超えると免許取消になると思っていた。
しかし、よくよく聞いてみると違うのだ。
過去3年間行政処分の前歴がない場合、振り出しに戻り0からのスタートになる。
債権債務の相殺で一からやり直しが出来るようになるのだ。
しかし、3点を超えると90日の免許停止、9点を超えると免許取消になるように行政処分までの期間が短縮される。

つまり、行政処分の130日までの間に携帯電話違反一つで免許取消になっていた状況から、9点の持ち点を得た事になるのだ。おまけに1年間違反がなければチャラになる。
15点満点の降り出しからのスタートになる。
本当に運が良かったと思っている。

そして、行政処分の期間短縮となる制度があって、講習を丸2日間受講して試験に合格すると停止期間が半分の45日になる。

私は丸2日間も時間をかけたくないし、波動の悪い人々に囲まれて長時間過ごすくらいなら運転しない方がまだマシである。
短縮講習はやらずに2月7日までおとなしくしている選択をした。

今回は免許取消寸前、相撲で例えるならカド番大関が千秋楽7勝7敗で迎えた場面、徳俵に足がかかった状態から、うっちゃりで勝ち越した感じだ。

今回も本当にツイていた。運が強い。

天にありがとう。

訪日ブーム

上野アメ横は活況を呈していた。

何十年ぶりに訪れたきっかけは、以前友人から紹介された韓国のエンジニアA氏が日本に来る事になりリクエストに応えた格好になった。

本当に久しぶりだったので、雰囲気は変わってなかったが、改めて気付いたことや、新しい発見があった。

まず魚屋の店員がアメリカ人で、満面の笑みを浮かべ流暢な日本語で親しげに語りかけてきたので思わずのけぞってしまい、そのノリについて行けなかった。
ケバブの店も幾つかあり、売り手も外国人なら買い手も外国人という、昔とは違う景色は結構新鮮に感じた。

A氏もこの賑わいに混ざりながらもキョロキョロと色んな店を探索していた。
特に侍傘なるものが目を引いて買っていた。
刀の柄を傘の取っ手に使ったもので、私のお腹を突き刺す真似をして遊んでいた。ブランドの靴やバックもあちこちで安く売っているので、イミテーションかと聞かれるくらい国の文化の違いを感じた。

また、干し貝柱があちこちの店先に並んでいたが、あんなに高価なものとは知らなかった。
ひと袋で3000円位するのでびっくりした。
A氏は2袋買うと一つ開けて歩きながら食べていた。

すると、築地銀ダコの店に入り、たこ焼きとクロたい焼きをすごい勢いで食べていた。
品質も韓国とは一味違うようである。

御徒町から秋葉原に歩く途中でB級グルメで優良店が集まったエリアがあった。
すると、それを見たA氏は急ぎ足で勝浦担々麺のブースに向かっていた。

まぁ、よく間食する男だと思った私は一切間食が嫌いなので、半ば呆れて見ていた。
甘いものが好きだと聞いていたので、この際もっと食わせてやろうと意地悪な魂胆が芽生えてしまった。
これも私の悪い癖である。
どら焼きの店を見つけるとわざと食べるか聞いてみた。
すると並び始めてショーケースをじっと見つめていたので笑ってしまった。

こうなったらと思い、カレーの店や弁当の店に連れて行き、これもあれも美味いから食ってみるかと追い打ちをかけた。
すると薄笑いを浮かべ、もうここはいいから秋葉原に行きたいと言う。

彼はライフルや拳銃の玩具のコレクションが趣味らしい。
歩きながらメイドカフェの女の子を見るや驚きの表情、おまけにカードがギッシリと詰まった店ではじっくり見る場面もあり、こいつはオタクかも知れないとその時思った。

私も初めて見る光景に引いてしまった。
オタクの村とはよく言ったもので、秋葉原の一部のエリアはオタクでごった返していた。
見る男性みんながオタクと化していた。

ずいぶん歩いたのでA氏もだんだん無口になってきた。
冗談で築地市場でも見学して、少し鮨でもつまんで帰りますかと聞いたら、ニッコリ笑って行きましょうと返された。

どこまで食うやつかと思うも、すしざんまいに入り注文する際に生魚は食べられない事が発覚。仕方がないので、炙りものや天ぷらを注文した。

店を出て直ぐの場所でマグロの焼き串が売っていたのを見ると早速並び始めていた。
ここは外国人がいっぱいで人気のスポットらしい。

最近の訪日ブームを間近でみることで、改めて日本の文化に触れる外国人を感じる事が出来た。
外国人がよく行く、浅草や銀座、上野から秋葉原のエリアはそれを受け入れる側の店の日本人スタッフもさばき方が手慣れている印象があった。

これから益々増える感がある訪日ブームはどこまで広がるか楽しみだ。

RALLY NIPPON in四国

昨年に引き続きのエントリーとなった。
ギリギリまで出場するか迷ったが、参加する事の意義を優先して京都入りした。

躊躇した要因は交通違反による行政処分にあった。
今年6月末に高速道路でオービスに映り、70キロオーバーのスピード違反で点数が一気に12点を加算されていた。
実際の行政処分は通知がなかなか来なかったが、レース出場直前に通知が届いた。
11月10日に免許証を持参のうえ出頭するよう記されていた。

それまでは、運転しても全く問題ないのだが、駄目押しともなる出来事が起こったのだ。
何と、レース前日にまたもやスピード違反で捕まってしまったのだ。
まったく普通に運転していたので、いきなり警官が旗を振って止められた時には何が起こったのかさっぱり理解出来なかった。
窓を開けてみると、スピード違反の取締りをやっていて、あなたの運転していた速度が超過しましたと言っている。
はぁ、の世界である。
そして、警官は畳み掛けるように言った。
30キロ規制の道路で53キロで走行したため、23キロオーバーになります。

開き直った私は警官に聞いた。
ところで何点引かれるんですかと。
すると2点ですね、とさらっと言った。

私の頭は既に計算が済んでいて、RALLY NIPPONに参加するリスクを考えていた。
もはや、ほんの少しの違反も許されない。
1年後に教習所に通う羽目になるのは御免である。

その日の夜に考えた。
どうせ1年間は1点しかない命だ。
ならば、やりたい事をやって命絶える方が良しと思った。

弱気相場で1年を過ごすくらいなら、やりたい事をやるか、まったく運転をしないかのどちらかの選択が賢明だと決意した。

ここまで来たら12点も14点も同じである。
早く2点加算され、かえって腹が据わったようだ。

こうなったらレースで華々しく散るのも乙なものではないかと。

今年は東寺からのスタートで神戸-淡路島-徳島を起点に四国一周するコース設定となった。
スタート当日の朝は東寺の境内に約70台のクラッシックカーが集結した。

1日目は今治城がゴール、2日目が高知城、3日目が淡路島、最終日は昨年に引き続き、京都上賀茂神社でフィニッシュとなった。

RALLY NIPPONの凄いところは、神社の境内に車を集結させて、地元の方々とのスキンシップを企画してある事で、お祭りのような雰囲気の中で地元の方々が歓迎してくれる。
皆んなクラッシックカーを見に集まり、ある人はこの場所がこんなに人で賑わうのは正月以来だと言っていた。

それは、我々エントラントとしても同じ事が言える。
大観衆の中をクラッシックカーで乗り入れる気分は何とも言えない優越感のような気持ちにさせてくれる。
地元のシンボルであるお城から放つスポットライトでまぶしく輝くクラッシックカーは、本当に絵になる素晴らしいプロデュースで、あの瞬間は鳥肌がたつほどのシーンであった。

また、走行途中には休憩ポイントがあって、そこでも地元の人が作ってくれたご当地グルメでもてなしてくれる。

香川の名物、讃岐うどんは絶品だった。
腰があって、醤油ベースのタレは絶妙な味わいがあり、かつて食べた事のない飛び抜けた美味さだった。

その他、各地域のB級グルメが味わえて、個人的には夜に開催されるパーティーで出てくるおきまりの料理よりもはるかに好きだし優れていると思う。

このように、各地域の沿道から手を振ってくれる地元の人達がいたりして、大いに盛り上がるイベントになっている。

これも外と内の共同作業で、地元の人達が特産物を振る舞い、外から来た我々がもてなしを受ける様は地域を元気にするイベントの一つで、当社で取り組んでいる天然村事業に通じるものがある。

来年は2回目となる台湾での開催が決まっている。
国際交流にまで発展しているRALLY NIPPONは様々な可能性を秘めている。

もはや、個人的な免許が1点しかない事など、どこかに行ってしまったかの体験だった。