最近の飯

馴染みのスーパーでは、全国の特産品を商品ごとに集めた売り場を設けている。
最近はおでんが目立ち始めた。
特に関東おでんの出汁はかなりのレベルになっている。

チーズやサラミなどワインに合わせた品もバリエーション豊富で、カレーも全国の地方特産品からのものだったり、何十種類も棚に並べられている。

一つの商品の価格帯が多様で最低価格と最大価格の差で10倍する品もあったりする。

バターで塩分濃度が低いものは1300円だったり、商品の多様化と同時に健康に良い商品のラインナップも目立ち始めたようだ。
私はパンをあまり食べないが、知人からいただいたのがあったので、そのバターを買って食べてみた。
それほど劇的に美味いと感じなかったが、健康に配慮した品とはそんなものかも知れない。

一方で、昨年まで馴染みにしていた中華の店の餃子と中華丼は劇的に美味い。
しかし、翌日になっても喉が渇いて水を大量に欲するようになる。
一度カウンターからじっくり主人の仕事を拝見した際に、鍋に入れた具材に調味料がいくつか使われていた。
塩、胡椒はもちろん、味の素も入っているようで、美味さが自然でないと言うか、化学調味料の絶妙な加減による仕上げが濃い味となって現れているに過ぎないのだろう。
最近はめっきり行かなくなった。

何か自分の飯ライフが転換したようで無意識だったが、最近になって飯屋を選ぶ基準が変わったことに気付いた。

先週の飯屋で美味いと感じた品は、鉄板焼きのシメでオムライス、関東おでん出汁、ピータンと椎茸のお粥、玄米トマトカレー、ニンジンの握り寿司、スターバックスタマゴサンド、淡路島玉ねぎサラダ、の7つだった。

普段は朝が玄米と味噌汁、昼と夜はどっちか一食で仕事に合わせてどちらかに決めている。

1週間を翻っても以前と比較すると大分変わったメニューになっている。

以前はパターン化していた。
例えば、ランチには幾つかの馴染みの店で食べる中華丼と餃子、チャーハン、メンチカツ、カツカレー、フライドエッグカレー、天ぷらそば、カレー南蛮とご飯、このローテーションが組まれた感じの飯ライフだった。

夜は会食があったりするので、肉や魚を中心とした店が多く、おまけにしめに麺類や雑炊だったりする。

ポイントは油が劇的に減少したことである。

先週の飯にしても鉄板焼きのオムライスを除けば油料理が少なくなり、素材から出る自然の旨味を生かした調理に近い飯屋を選択しているようだ。

この素材から出る自然の美味さに大驚愕した品を発見した。
私はそれを自ら好んで食べるものではなかった。

しかし、口にした瞬間から自然の甘味からじわっとくる美味さに薄笑いしてしまった。
こんなにも美味しい飯がここで食べるなんて感動した。

それこそが赤飯である。
地域の素材を使い熟練のご婦人がつくる赤飯は絶品だった。

天然村でお世話になっている平塚活性化協議会の婦人チームの作品だ。
まさにここでしか食べられない代物だった。

この赤飯はわざわざ食べに行きたくなるだけの価値がある。
あとひとひねりすればもっと商品価値は上がるだろう。

その他にも彼女たちが作る田舎寿司がある。
山の幸をネタにしたもので、昔からの伝統を受け継ぐ里山料理である。
自然の美味さに熟練の味付けを加えた一品は、東京に集まる飯屋では決して味わうことのないもので、地域の特性を生かした郷土料理だ。

これらは、最初に紹介した馴染みのスーパーには出回らない品である。
そこに行かないと手に入らない。
市場に出回らないので地域を訪ねて初めて食す事が可能になる。

これからの時代は何でも集まる品揃いの売り場から、そこへ行かないと手に入らない売り場を作る価値の方が勝るのではないかと感じる。

飯屋も同様で健康に配慮した新鮮な素材を扱う、その店にしかない美味さを求める人々は海外からも大勢訪れるだろう。

チョウザメ

久しぶりにすごい会社を見てきた。

秋葉原から筑波エクスプレスに乗り筑波へ向かった。
初めて乗った印象は普通の車両に比べてシートが硬く感じられた。
車窓から見る田園風景は常磐自動車道で車から見るそれとさほど変わりがなかった。
しかし、筑波へ近づくと綺麗な街並みに変わった。
区画整理が整い、住宅も広い敷地に大きめな家が並んでいた。
屋根には太陽光パネルを備えた家が目立っていた。

約45分で筑波駅に到着した。

今回訪れたのは、チョウザメの養殖で成功している企業であるフジキンさんを訪問した。
目的はアクアポニックスに用いる魚をチョウザメにするか検討していて、実際に現実現場でどのような取り組みがなされているのかを自分の目で確かめ、現場感覚を感じるためにやってきた。

フジキンさんの本業は製造業で、半導体や医療機器のバルブを扱う会社だ。
本社が大阪にあり全国の主要都市には支社があって、アメリカやアジア各地に工場を展開している老舗のバルブ製造グローバル企業であった。

筑波支社も研究所のような施設で、役員室に通されるまでのプロセスはさすが製造業といった印象を受けた。
それは、室内靴に履き替えてすぐのところにアルコール消毒をする仕組みがあり、そこのホールには商品の展示やイベント掲示板があり、非常に全体が整った清潔感のある空間だった。

役員室でチョウザメの養殖に至るまでの経緯を聞いた。
かいつまんで言うと、28年前に新規事業として始めたきっかけは、景気に左右されない安定した基盤を築くため、重要であるが非緊急な取り組みとして、魚の養殖を発想したそうだ。
当初はフグやヤマメなどを検討したらしいが、二番煎じではない日本初のパイオニアとして可能性のあるチョウザメにトライしたそうだ。

製造業との共通点でもあり、自社の強みを生かせる統計的品質管理を魚の養殖にも応用できる要素は大きかったようだ。

しかし、始めた当初は苦労続きで赤字が続く期間がかなり長かったようだ。
実際の養殖施設まで案内してもらったが、そこを見る限りまるで水族館に来たかのような素晴らしい施設で既存の養殖業者とは別格のレベルに驚愕した。

それは、製造業が成せる業できっちりとした環境を作り統計的品質管理の元、養殖されているチョウザメがたくさん泳いでいた。

今この状況だけを見たら普通にチョウザメの養殖がなされて、雌だとキャビアが取れて一匹10万円で出荷され、雄でもキロ4000円と商売としたら立派に成功している。
しかし、始めたのが28年前である。
この期間のプロセスがあってこそ今がある。

何でも直ぐ成果が出る商売は知れている。
試行錯誤を繰り返し失敗を重ね、知恵を集結して成せることだと思う。

そう考えるとフジキンさんはすごいと思うのだ。
創業80年の凄みを感じた。

養殖施設には、大きさによって水槽がわけられているが、最年長のお年寄りが30歳だった。
2歳の時にロシアから輸入して、育成期間を経た後に人工孵化に日本で初めて成功したのだ。

寿命は80歳と言うからほとんど人間なみである。

稚魚から出荷するのに普通8年はかかるそうだ。
このあたりが魅力的だ。
それだけ参入障壁が低いと言えるし、ノウハウも積めるので加工食材としてのポテンシャルも高そうだ。

フジキンさんで育成されたチョウザメたちは都市部のホテルやレストランでキャビアやソテーとして料理されている。

天然村やベジパークのアクアポニックスでは地産地消による加工食材としてチャレンジしたい。

ニューヨークハンバーガー

ニューヨークハンバーガーの本丸が日本に上陸した。

私はハンバーガーに全く興味もないし、普段はほとんど食することはないが、近年の食の安全から少々高くとも品質で評価される時代になり、どの程度の影響があるのか実際に現場を見たいこともあり、またモスバーガーなどに比べて何が違うのか、実際に食べてみて店の雰囲気にも興味があって訪れてみた。

「SHAKE SHACK」シェイクシャックが外苑前にオープンした。
タレントのローラがニューヨークで話題にしたのはよく知られている。

店舗の立地は決して良い場所ではなかった。
原宿や渋谷に比べると出店条件はBランクと言っていいだろう。
イチョウ並木通りにあり、人通りの少ない場所ではあるが休日ともあって行列が出来ていた。

待つこと40分ようやくカウンターで注文した。
こんなに待つなんて滅多にないことだか、この日は不思議と自然体で待つことが出来た。

オープンキッチンでは16名のスタッフが所狭しと動いていた。
ハンバーガーを焼く担当、ポテトを揚げたり飲み物やアイスを担当する者、レジスタッフ、ホール担当とオープン時とは言え人数が多い印象だった。
注文をするカウンターから見渡せるようになっている。

注文をする際に初めて気づいたが、メニューにコーヒーがなく代わりにビールがあった。
完全にスターバックスとの棲み分けを意識した戦略で、ビールを注文する人達も目立っていた。ポテトをつまみにビールはありだと思った。

全体を見渡すと20歳代が多く女性の方が目立っていた。
価格帯がマクドナルドなどに比べると高いので10代が少なく、アルコールを扱っているのでターゲットは20歳から30歳前半のような印象をもった。

そして、巧みなブランディングがスターバックスのような雰囲気を醸し出していた。
コーポレートグッズが店内で販売されているのと、ロゴも冴えている。
この辺りはさすがだと思わせるものを感じた。

私が注文するとタイマーを渡されて席を確保するために移動したが、店内がいっぱいでまたもや順番待ちになった。
実際に注文を受けてからハンバーガーを焼いたりポテトを揚げたりするので、どうしても回転が少し遅くなる構造になってしまう。

席の確保も順番待ち、ハンバーガーもタイマー待ちで、まだかまだかと思って待つこと15分ブザーが鳴り再びカウンターへ向かった。
オリジナルハンバーガーが680円、燻製のものが880円だったので、私はオリジナルハンバーガーを注文した。

食してみたが感動はなかった。
行列を並んで食べるほどではないし、また訪れたいとは思わなかった。
しかし、興味を引いたのがブランディングだった。

ニューヨークではブランディングに成功しているようだが、日本でスターバックスのように圧倒的な支持を得られるか今後注目したい。

最近のファーストフード店は注文を受けてから調理に入るのがブームになってきているようだが、その分待ち時間が長くなり今回も並び始めて食するまでに費やした待ち時間が約1時間を要した。

10年前は安くて早くて美味いを売りに成長したが、これからは食の安全による品質が1番重要な時代になっている。

コストをかけても品質を求めるようになっているし、最近は突然体調が悪くなって病院に行く若者も増えているようだ。

当社の社員もお昼はコンビニ、夜もコンビニ、朝は抜いている連中も多いと聞いている。

是非、玄米と具沢山の味噌汁を食す習慣にしてもらいたい。

やかんとうんこ

ビジネスの友人でもあるFから「参謀」なる組織を紹介された。

ここは、経営者が集まりそれぞれが参謀として相互関係が成り立つコンセプトである。
なので、組織で何か活動するのではなく、組織内で経営者同士が生の体験を通じて感化しあい、具体的な案件の参謀役として機能する仕組みになっている。

この参謀を代表するA氏がFの中学生の同級生であり、Fが参謀に初めて参加した際に感銘を受け、1番に私を思い出してくれたらしい。

私も昨年からメンバー入りし、参謀の会合に参加するようになった。

6日に会合があり3回目の参加になったが、この日は参謀メンバー企業のI氏が自身の生の体験を話す機会があった。

I氏はIT関連企業の経営者であるが、その出で立ちに驚愕した。
それは、まるでおとぎ話に出てくる虹から現れた妖精のようであった。
普段はもっと派手だと言う。

その彼の話に「やかんとうんこ」があった。

私は彼の出で立ちから感化されていたが、この話を聞いて益々共感したと同時に私の中にあるボタンを押されたようだった。

まずはやかんの話しだが、商談に向かう際に鞄の代わりにやかんを持って行く時があるそうだ。
やかんとはお湯を沸かす時に使うやつだ。
一瞬驚いたが、発想の転換である。
やかんを鞄に置き換える発想は、おそらく世界中探しても彼をおいて1人としていないのではないか。

そして、商談の際にテーブルにやかんをおいて何も尋ねてこなかったら、仕事を引き受けないそうである。

何も言わない人などいるのだろうかと思ったが、それがしっかりいるそうである。
あまりに突然、目の前に現れたやかんに言葉を失い、問いかけてはならないと自動的にシャトアウトする輩が存在するというのだ。
確かにそんな人物と仕事はしたくないだろう。
実にシンプルな構造である。

そのためにやかんを持参しているわけではないにしても、物を見る観点や発想は広がり、日常がいかに限定された世界、既成概念に囚われた世界でさまよって仕事や生活をしているかが、このやかんによって完全に突破されてしまった。

あとは、うんこの話だが、これはシンプルで「入ったものが出てくる」発想で自分に入ってくる情報、五感で体験するもので日常的ではない体験をいかにチャレンジしているか。
この体験を通じて、うんことしての発想が出てくることはまったく共感する。

I氏は何も芸術の知識は無いが、パリやロンドンに頻繁に出向き、パリではタキシードに自身で描いたデザインを塗って街を歩いたそうだが、その際にたくさんの人々が振り返り話しかけてきたそうで、中には有名ブランド数社の方からもオファーが入ったそうである。

ポイントは自分で限界を決めない生き方、結果はともかくプロセスが日常のパターンになっている行動をガラッと変えるシーンを取り入れることは非常に有意義なこと、それがうんことして出てくる発想がやかんだったりしたら自分世界が楽しく広がるだろう。

会合の後に毎回懇親会がある。
居酒屋で酒を酌み交わしながら親交を深める計らいだ。

I氏と隣の席になる機会があり私自身や家族の話をしていた。
彼は感性の高い人物で大胆さが目立っているが、非常に繊細な性質を兼ね備えた印象をもった。

今度一緒に仕事をし、志を成し遂げようと話をして楽しい時間を共に過ごした。

年末年始

年末にマニラ入りをした。

約1年ぶりの再会となった息子は更にたくましくなっていた。
その落ち着き払った様子はかつてのやんちゃな面影は微塵もなかった。

15歳で単身マニラ入りした彼は17歳になった。
日本人を対象にした英会話スクールでインターンとして働いている。
月給は3万円、日本からの仕送りは一切ないが、普通に暮らす分には充分とは言えないが、フィリピンの平均月給なみに稼いでいる。

約2年間の体験が彼をそこまでにしたのだろう。
まったく文化の違う異国の地で当初はホームシックになるのは勿論、孤独感や生活習慣の違いに戸惑ったことだろう。

同じ高校生活を送っている日本の同年代にはない雰囲気を纏っている。

今回は私の両親も連れてきた。
次男の姿を見て涙ぐんでいたのが印象的だった。

次男のリクエストもあり、正月はマニラから島へ向かった。
国内線で約1時間半のフライトでパラワン島に到着した。

そこは、日差しが強く真夏の陽気だった。
人気のリゾートエリアとして欧米人が至る所で目立っていた。

彼を通訳係として観察してみたが、流暢な英語で会話する様子を見ると日常生活のレベルはマスターしているようだ。
しかし、ビジネス用語や交渉を促してみたが、そこの領域までは到達していなかった。

宿泊したホテルでは、大晦日のカウントダウンイベントが盛大に行われた。
ビーチ沿いに設けられたパーティー会場は熱気に包まれ、ステージではダンサーやバンドが演奏する音楽でNew Yearを迎えた。

残念ながら私はカウントダウンをする事もなく酔っ払って寝てしまった。

19時に始まったパーティーはあと5時間0分0秒の大きな電子標識に記されていて、もうそろそろと思いきやまだ残りが2時間50分、ちょうど21時を回った時間で、とてもこの感じでカウントダウンを迎えそうにないと確信した私は思い切り粘ってみたが、23時前には姿を消していた。

普段の習慣が10:30-3:30の平均睡眠タームの私にとっては、もはやカウントダウンはどうでもよくなっていた。

新年をこの島で迎えた私達は、最後にマカティへ向かった。

東京のような都市化が進むエリアで、New Yearを迎えた市民達が賑わっていた。

おしなべて言うとフィリピンは若くエネルギーに溢れた国だ。
マニラ、パラワン、マカティと見て回ったが、何処も若者でいっぱいだった。
おまけに場の雰囲気がエネルギーで満ち溢れている。
それはまるで日本の昭和時代、私が生まれた頃の勢いに近いのではないだろうか。

これから始まる時代にワクワクする感じを肌で感じた。

次男をマカティに残し日本へ帰国した。
今日から新入生をスクールまでアテンドする仕事があるという。

彼は1年後LAに入る。