ひなびた温泉街

実にひなびた街だった。
普通に受ける印象は、活力が失われた既に終わっている街に映るだろう。
一方で、昔からの街並みが今でも変わらずに整っている希少な環境と言えるだろう。
道に面した人家の群れは温泉街と言うよりも、ひっそりと湯治に訪れる田舎らしい静かで落ち着いた雰囲気の街だった。
有名な温泉街で人が混雑しているより、じっくりと湯治をしてエネルギーを養う場合には、このような静かな環境で、抜群な泉質を体験すれば、ここを選択する分けが理解できるだろう。

宮城県の東鳴子温泉、大沼旅館を訪れた。
知る人ぞ知る東日本で随一の泉質を誇る鳴子温泉地域である。

Y氏から紹介され五代目の大沼社長に会いにやってきた。

宿の入り口ドアを開けると玄関に大沼社長が出迎えてくれていた。
エネルギーの強い方で色々と話を伺うことが出来た。

彼がこの世に生まれてきた使命は、湯治で人々の人生を幸せにすることにあり。
私の解釈だが、大沼さんと話しをしていると湯治に魂が共鳴しているのがわかる。

離れの山荘にご案内いただき、この時期にここでしか収穫出来ない、大きなナメコをいただいた。本当に大きなナメコで、甘みのある新鮮でぬるっとした食感は抜群に美味しかった。

ここに隣接する露天風呂は、山の中にある本物の露天風呂だった。
おまけに、温泉のエネルギーが強く、ぬめりのある柔らかな泉質は山からの水が地下に浸透して鉱石に交わって吹き出す何十年サイクルで循環している温泉なので、ちょっとやそっとでは、この感じはお目にかかれないだろう。
私の中では、草津、箱根、登別、秋田玉川、別府、湯布院、のどれよりも勝る本当にすごい温泉だった。

大沼さんが、湯治にかける想いがまったく理解できる。
しかも、ひなびた感じがよりいっそういい。
地域の資源は素晴らしいものがある。
それを見落としているのが、地域に住んでいる人々は意外に多いのだ。
自分たちの地域の宝になんの価値も見出していないのが普通と言っていいだろう。
大沼さんは、それを認識している少数派の地域住民なのだ。

何か共通するものがあり、一緒に取り組める事が出来るのではないかと、地ビールを御馳走になりながら感じていた。
彼曰く、変わり者だと自分を評していた。
確かにテンションが普通のレベルでない。
ひなびた温泉街に湯治で人々を幸せにするのが私がこの世に生を受けた理由だ!
こんな感じのオーラを放っているので、確かに変わり者だろう。
私が逆の立場だったら、五代目とは言え、旅館業を通じてこのひなびた感で商売をする気になると言えば、それは嘘になるだろう。
それは、ドラゴンボールが揃って神龍に願いを叶えてもらいたくなる心境になる。
あるいは、ワンピースで例えるならヴィンスモーク家とビックマムの縁談話しで、サンジが茶会を断れず、土俵際に追い詰めらた格好に近いかも知れない。

例え話が飛躍し過ぎたかも知れないが、それほどまでの逆境から湯治を通じて地域活性化を成し遂げようとする心意気に感じ入ってしまった。

お披露目会

いつからかだろうか。

無意識に自らを目立たないようにしてきたようだ。

学生時代は音楽祭や各種イベントでエンターテイナーぶりを発揮していた。
むしろ、主張が過ぎて先生から殴られたり、問題児扱いされていた。
社会人になっても、その振る舞いは変わらず、宴会やら場を盛り上げる役目を担っていた。
服装にしてもセンスは別にして明るい色や派手な格好を好んで選んでいた。

それが、ある時期から徐々に変わってきたようだ。
20代中盤くらいからだろうか、なるべく目立たないようにしてきたようだ。
いわゆる日本人のDNA的な自らの主張を抑制するような、無難に治める傾向が徐々に定着して小さな枠にまとまってしまったようだ。

今回のお披露目会のような、外部に向けて目立った行為をするのは今だかつてなかった。
23年になるが何周年記念のようなイベントもまだ一度もやってない。
イコム創業以来初めての試みになった。

きっかけになったのは、外部から見た時にもっと目立った方がより結果に繋がるし、時代がもっと自己主張をして行くゾーンに入ったとの感触を得たのが動機となった。

今回のお披露目会の目的は新しいオフィスを全て公開し、全体の雰囲気を感じていただく機会にするのが表向きの趣旨だったが、入社2年目のS社員が常務代理として、実質全社員を牽引して新しいチームイコムを組成するべく、Sのお披露目会が本来の目的とするところであった。

どんな趣の会にするのか、当日まで知らなかった私は朝出勤してみると、各社員が各々楽しんでいて、来訪者への歓迎の雰囲気を自然と創り出していた。
それは、やらなければならないという受動的なものとは違い、自分たちチームで仕事を創り出している能動的なものだった。
表現を変えると、仕事をやっているフリから、自ら仕事を生み出している、まさにトランスフォームを垣間見た瞬間だった。

普段の仕事においても、こんなイメージでやっていけば、かなり面白い会社に変容するだろう。
実際に各メディア媒体からの取材やPR映像の製作に協力したいオファーを幾つか受けた。
シフトしてから間もなく、このような要請をいただくのも、前面に目立つ動きをしたからキャチアップが可能になったわけだ。

まさに、自分たちの主張を前面に出し、Sを中心に若いエネルギーを集約すれば、それはまるでドラゴンボールの元気玉ように不可能と思われる事も突破出来るに違いないだろう。

イコムの今後の動きに注目していただきたい。

西新井プロジェクト

関原商店街に初めて来てから約2週間、私を含めて3人のスタッフで西新井に1週間お試し移住してみた。

宿はユースホステルで宿泊は外国人がほとんど、ドミトリーを中心としたシェアハウスのようなホテルだった。
いわゆるバックパッカーが中心の顧客で賑わっていた。

パリから帰国した翌日に移住したので、そのギャップに戸惑いながら、マッチ箱のような部屋から早く脱出したい気持ちでいっぱいだった。
何でこんなところにいるのだろうと、時差ぼけ状態の中で呆然と狭い部屋の窓から景色を見ていた。

ホテルは駅東口より徒歩2分の立地にあり、西口の関原商店街まで徒歩で15分程かかる。
ここに決めた理由は、外国人が西新井に来た目的や暮らしぶりを間近で見られるためだった。
しかし、意外だったのが、ホテルのスタッフでも関原商店街の存在を知らないのだ。
外国人のお客様向けに街のスポットを紹介したり、寿司屋で握りのワークショップのイベントをやっていたので、地域に詳しく当然の事のように関原商店街の魅力を熟知していると思ったが、あにはからんや、私がホテルのスタッフに話をすると喜んでだ様子で、休憩時間に行ってみますという有様だった。
おまけに宿泊している外国人はコンビニ弁当を食べている様子が多く見かけられた。

私は、初めて関原商店街を訪れた時には衝撃を受けた。
コロッケ30円、餃子10個入り290円、天ぷら90円など惣菜店が安くて美味しい個店があちこちに見られる。
下町に日本の暮らしの原点があり、粋な人達が互いにおせっかいしながら暮らしている素晴らしい文化が残っていた。

地元の人々に触れ合う場所として夜の飯はまたとない機会になる。

酒を交えて、店の人からお客さんまで一帯となり会話に花が咲き、まるで家族のようなコミニティが形成されていた。

色んな店に行ったが、歴史が長く中には創業70年の中華料理店があった。
特に印象的だったのが鹿島寿司で、江戸時代には屋台として寿司が日常的に食された文化だったが、それを彷彿させるかのような雰囲気の店だった。
もちろん、屋台ではないが昭和初期の台所で握っているかのような、カウンター10席ほどに囲まれた狭い空間で72歳の大将と少々腰が曲がった女将さんの2人が所狭しと忙しそうに仕事をしている。
コスパは抜群に良くて、地元の人で毎日賑わっていた。

今回のお試し移住でわかった事は、粋な人々との暮らしは楽しく、心和むコミニティが存在する。一方で、都会のおしゃれな空間は個として楽しめるが、店内の見知らぬ人と突然と意気投合して、あっと言う間に店全体がコミニティー化してしまうような事はない。

habitationスタイルとしては、どちらも有りだし違う場所を行き来するには、むしろギャップがあって楽しめると思う。

私が外国に行った時には、関原商店街にある個店のような店があれば是非とも行きたい空間である。