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社長ブログ2016.07.18

映画からの観察

上映している場所をネットで探したが、首都圏でわずか3か所しかなかった。
おまけに1日1本の上映という極めてマイナーな映画を見に来ていた。

池袋の雑居ビル地下にある映画館は昭和の雰囲気たっぷりの場所だった。
レトロ感のある映画マニアが好みそうな空間だった。
間違っても自ら好んで見に来ることはなかっただろう。

私のコーチ役であるK氏から葛城事件という映画を見て自己を観察するように勧められた。
この映画は実話を元に製作されたらしい。

主人公を演じる三浦友和を通じて様々な自己観察があった。
長男が自殺し、次男が無差別殺人を起こし死刑になり、家族が崩壊するという内容だ。

普通の家族が直面する課題を父親の在り方を焦点とした構成になっていた。

独善的で自己の価値観を強要し、自分の理想とする人生を歩んでいる子供は承認するが、そうでない子供に対しては厳しく冷徹に接することで、事件へと発展していった。

受け入れる、見守る、相手の感情を尊重する、これらの要素を父親が持ち合わせていたら、あのような事件に発展することはなかっただろう。

一方で、そこに至るまでの過程において、気づきのチャンスがなかったか、そんなシーンがあったとしたら、どこの場面だったか回想してみた。

それは、子供が発した何気ない一言だったりする。
しかし、自分が絶対に正しいとしている価値観の呪縛から逃れない限り、その声を掴む事は出来ないだろう。

思考回路が自分発信から相手発信を受け取るように変わったら、あるいは、自分の感情より相手の感情をキャッチする方を優先するか、このように自らを変える準備が整っていたら、あのタイミングで局面は変わっていただろう。

ただ頑なに自己の価値観を相手に強要する主人公の結末は、誰も周りにいなくなり最後はひとりぼっちの孤独で終結した。

相手の感情を尊重する一方で、それに偏り過ぎるとどうだろうか。
自己の信念が希薄になり物事を成し遂げることが困難になるだろうか。

何年か前にK氏からある本を推薦された。
イワンのバカというロシアの民話を読む機会があった。

あれは究極の受け入れ度合いで、自分勝手で価値観を強要する兄弟たち全ての要求を受け入れた結末に王様になる話しだか、この物語でイワンがバカと言われる位に相手を受け入れている様を最初はただ短略的に受け入れているだけで、信念はないと見ていたが、どんな相手も受け入れる信念があるという事実がはっきりと理解できた。

今回の映画を通じて自分が持っている価値観を手放す機会を与えてくれたと思う。

長い間持ち合わせていたもので、簡単に手放す事が出来るかどうかだが、まずはそんなシーンがあった時に観察出来ている自分を自覚する事から始めてみようと思う。

素晴らしい映画を推薦してくれたK氏に感謝である。

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