被災地の人々

東北新幹線の一関駅で降りてレンタカーを調達し、陸前高田へと向かった。
田園風景を経て山道を過ぎると突然と瓦礫の風景に変わった。そこは正に戦場跡地というか、原爆で跡方も残って居ないと言った方が適切かも知れない。
但し、白と黒がハッキリ分かれているように何も残って居ない隣には普通に家屋が存在していたりするのだ。この地は明らかに津波の被害である事が解る。あちこちにパトカーと警官の姿を見かけ、今まで見た事もない自衛隊の車と何度もすれ違う。駅の近くに行ってみると、跡方もなくてここが駅だった事が想像すら出来ない状況だった。大部、車や家屋の撤収が進んだ事もあって更地が広がっている異様な雰囲気に包まれていた。

その後、気仙沼へと車を走らせるも通行止めの所が多く迂回してようやくたどり着いた。ここは近くにコンビナートがあった事もあり火事の跡が多く残り、風景は陸前高田よりも悲惨であった。昼食をしようにも店が殆どの閉まっていて、衣料関係の店はちらほら営業しているが飲食店はなかった。ようやく見つけたお蕎麦屋さんに入り話しを聞けた。
メニューを見て驚いた。
ラーメンもあり、そばも全て400円という安価で出している。
このご夫婦は高台に位置していて当日も外出していなかったので被害に合わなかったそうだ。とにかく運しかなかったという。生かされたので、被災者のために温かいラーメンを追加して安価で営業を再開されたそうだ。お客様の中には手を合わせお茶をいただいた方もいたと言う。みんな遠くから歩いて食べにくるそうだ。おにぎりやカップラーメンばかりの食事では無理もない。
しかし、同じ商人として素晴らしいご夫婦に巡り会えた。無気力になり商売を再開する人も少ないと言う。そんな状況の中で飲食店が殆んど無くなってしまった地域で奮起している姿がとても美しく見えた。

帰りに仙台に寄ってタクシーで日帰り温泉に行ってみた。個人タクシーの運転手さんだったが今年の2月迄は大不況で商売を辞めようとしたそうだ。そんな時に震災が来て今では年末年始のごとく活況を呈しているそうだ。震災に関連する作業員、ボランティア、報道、企業の親会社に関わる人達で賑わっている。私が寄った温泉宿も災害地の作業で帰ってくる人達が相当数いらした。この周辺の宿はほぼ満室のようだ。そんな特需も発生しているが運転手さん曰く、そんなに長くは続かないだろうから、この期に今迄のやり方を捨て去り新しいやり方に切り替えるチャンスとして捉えているようだった。