社長ブログ2012.09.03
聞こえない
教習所に通い始めて一ヶ月が過ぎた。
ようやく通過点の中型を取得したが、教官によって教え方が違うので
こちら側からすると、捉える観点がいくつかあるので掴みやすいのだ。
例えば、バイクを立ちながらゆっくりと凸凹を通過する練習があるのだが、
教官によってクラッチとアクセルの使い方を色んな角度から教えてくれる。
人によっては捉える観点が違うし掴むポイントも変わってくるので、
毎回違う教官に習う仕組みは素晴らしいと思った。
一度こんな事があった。
教え方は上手いし技術も凄腕の教官がいるのだが、冗談の一つも言わない
無愛想な若手にレッスンを受けた時があった。
レッスンの前に説明があるのだが、彼の説明に対して私は深くうなずき、
自信をもった在り方で聞いていた。実際にやって見ると違う事をするので
教官は私を呼び止めこう言った。
あなたは私の説明を自信ありげにうなずいていたが、本当に人の話を聞いていないんだな…
彼は苦笑いをしながら言った。
私の本質は人の話を聞かない、いや聞こえないと表現した方がいいだろう。
聞かないとは相手の話を理解した上であえて聞かない選択をするのだが、
私の場合は相手の話の内容が入ってこない、故に聞こえないという表現になる。
なぜそんな事になるのか、翻って考えて見ると相手が私に説明している時に
違う事を考えている場合が多いようだ。勿論、全部がそうではないが部分的に
自分の世界に入るので、抜けてしまう事がしばしばある。
今回のケースも教官が説明している時に私はどうだったか。
明らかに説明を割愛して聞いているのだ。割愛とは説明する方の言い分だが、
私の場合は逆をやってしまっている。
説明よりも早く実践してやって見ないと解らないだろうが…
こんな思考の時に肝心な事が抜けるようだ。
あるいは全く別な事を考えている場合もあったりする。
無意識に深いうなずきをしているが、聞こえていないのである。
私が深いうなずきをする時は聞いていないとよく言われる。
今に始まった事ではないので、簡単に治るとは思えないが、今度
傾聴セミナーのお誘いがあるので参加してみるつもりである。
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