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社長ブログ2016.07.24

次男

チャイムがなった。
予定時刻を1時間程過ぎていたが、連絡が取れない状況にやや苛立っていた。
鍵は開けていたので入るように声をかけた。

彼が自宅に入るのは、フィリピンに行って以来丸2年ぶりになるだろう。
次男が一時帰国のため、成田空港から六本木まで電車を乗り継いで帰ってきた。

風貌からは25歳くらいに見られても不思議はないだろう。
髪を後ろに結って、長男に似ていたので一瞬見間違えるほど大人びていた。

中学校を卒業してすぐ、単身片道切符でフィリピンへ飛び立った。
当時は日本にいたところで、定時制高校に行くしか進路はなかった。
ちょっとした悪さをして警察の厄介になったかと思えば、次はひきこもりで不登校とまったく冴えない中学時代を送っていた。
その延長線にはまったく明るい未来はなく、異国の地で社会人として働きながら勉強をした方が彼の未来に得るものが大きいと判断して、未知の世界へ送り出したのだ。

半年前にフィリピンで再会した時よりも更に変化していた。

携帯もフィリピン仕様になっているので、WiFiが使えないと通信不能なため、移動中には連絡がつかない状態なのだ。

一時帰国の目的はパスポートの更新手続きで、約10日間滞在する事になる。
本来なら現地の日本大使館で手続きする段取りをしていたが、書類を現地に送る場合に期限が不確定な事もあり、大事をとって帰国させ日本で手続きすることにした。

帰国した夜は家族で食事をした。
フィリピンでのローカルな生活について話題になった。
発展途上国での生活に慣れた彼は、お金を消費して楽しむ文化とは違ったものを身につけていた。
環境が人を変えると言うが、彼は必然的に月収3万円の範囲内で生活するしかない状況に置かれている。
例えば、現地のスタバでラテを注文しても価格は日本と変わらない。
つまり、物価そのものは先進国並みなのだ。
しかし、ローカルな地域での物価はそれらと異なる。
日本人から見たら汚くて入らないような地元店があり、そこは異次元な空間でまさにローカルな生活の場となっている。
次男もそこへ普通に行き来する地元人と化しているのだろう。

フィリピンの平均月収が3万程だという。
次女がカラオケのアルバイトで稼ぐ金額にも届かないと言って苦笑いをしていた。

来月予定している仕事でサンフランシスコへ行く。ホースセラピー研修とアクアポニックス現地視察を予定しているが、次男には通訳として来てもらう事になっている。
次男はマニラから出発するので、サンフランシスコ空港で待ち合わせして、一緒に現地に向かう事になっている。
日本からは関係者も数人合流する。
その中にはアメリカ留学経験者が何人もいるので、彼にとって今後の進路を決めるのに相談出来る良い機会になるだろう。

日本にいる間は友達と朝まで遊んでいた。
それはまるで、普通の少年に戻り、水を得た魚のようにはしゃいでいた。
女の子を家に連れ込みよろしくやっていた。

つかの間の幸せな時間を過ごし帰国して行った。

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