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社長ブログ2018.03.18

ウエディング

毎年恒例の行事になっている。
社員のウエディングに参列するのは仕組みになっているようだ。
新卒で入社してから30歳までに結婚している傾向がある。
新卒採用を毎年継続しているので、順次招待状が届くのは必然のこと。

昨日、男性社員Sのウエディングに出席した。
挙式に参列し、披露宴では主賓の挨拶をした。
ここまでは、いつものパターンだが時間が経つにつれ違和感のような感覚が湧いて来た。

ウエディングの主役は新婦であることは間違いない。
ところが、Sの結婚式は挙式から披露宴まで主役は常に新郎でスポットライトが新婦に当たることはなかった。

それはまるで、駆け出しタレントのディナーショーに来ているかのような錯覚さえ覚えた。

ウエディングの重みが欠如していたのだ。
一番の醍醐味は、新婦そのものと、親族とのコラボレーションが参列者の感動を呼び印象に残るのだが、それらがまったく感じられないのが非常に残念だった。

明るくて賑やかな事はとても大切な要素だが、ウエディングの格式や品格はより重要になる。
それらの重要な要素がウエディング全体を通して感じることはなかった。

Tが主体となって企画を考えたのは言わずもがな。
しかし、2人で同意した以上、彼だけの責任とは言えないだろう。
一方で、新婦は表情と感情が一致していない、どこか無意識で何かを抑圧して感じないようにしているよな印象を持った。

ウエディングで恒例のブーケも目にすることはなく、ウエディングプランナーの重要性をこれほどまでに感じた事はなかった。

ここまでお粗末だと、新婦側の親族は憤りを感じてもおかしくないだろう。
もはや、早川家が新婦側の親族だったら、直ちにクレームをつけた上、ウエディングを中断させただろう。

新郎と新婦の参列者のバランスも取れていなかった。
もしかすると、新婦は結婚式を挙げたくなかったのかもしれない。

そんな洞察を深めてしまうようなウエディングは、未だかつて体験した事はなかった。

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