社長ブログ2016.01.03
年末年始
年末にマニラ入りをした。
約1年ぶりの再会となった息子は更にたくましくなっていた。
その落ち着き払った様子はかつてのやんちゃな面影は微塵もなかった。
15歳で単身マニラ入りした彼は17歳になった。
日本人を対象にした英会話スクールでインターンとして働いている。
月給は3万円、日本からの仕送りは一切ないが、普通に暮らす分には充分とは言えないが、フィリピンの平均月給なみに稼いでいる。
約2年間の体験が彼をそこまでにしたのだろう。
まったく文化の違う異国の地で当初はホームシックになるのは勿論、孤独感や生活習慣の違いに戸惑ったことだろう。
同じ高校生活を送っている日本の同年代にはない雰囲気を纏っている。
今回は私の両親も連れてきた。
次男の姿を見て涙ぐんでいたのが印象的だった。
次男のリクエストもあり、正月はマニラから島へ向かった。
国内線で約1時間半のフライトでパラワン島に到着した。
そこは、日差しが強く真夏の陽気だった。
人気のリゾートエリアとして欧米人が至る所で目立っていた。
彼を通訳係として観察してみたが、流暢な英語で会話する様子を見ると日常生活のレベルはマスターしているようだ。
しかし、ビジネス用語や交渉を促してみたが、そこの領域までは到達していなかった。
宿泊したホテルでは、大晦日のカウントダウンイベントが盛大に行われた。
ビーチ沿いに設けられたパーティー会場は熱気に包まれ、ステージではダンサーやバンドが演奏する音楽でNew Yearを迎えた。
残念ながら私はカウントダウンをする事もなく酔っ払って寝てしまった。
19時に始まったパーティーはあと5時間0分0秒の大きな電子標識に記されていて、もうそろそろと思いきやまだ残りが2時間50分、ちょうど21時を回った時間で、とてもこの感じでカウントダウンを迎えそうにないと確信した私は思い切り粘ってみたが、23時前には姿を消していた。
普段の習慣が10:30-3:30の平均睡眠タームの私にとっては、もはやカウントダウンはどうでもよくなっていた。
新年をこの島で迎えた私達は、最後にマカティへ向かった。
東京のような都市化が進むエリアで、New Yearを迎えた市民達が賑わっていた。
おしなべて言うとフィリピンは若くエネルギーに溢れた国だ。
マニラ、パラワン、マカティと見て回ったが、何処も若者でいっぱいだった。
おまけに場の雰囲気がエネルギーで満ち溢れている。
それはまるで日本の昭和時代、私が生まれた頃の勢いに近いのではないだろうか。
これから始まる時代にワクワクする感じを肌で感じた。
次男をマカティに残し日本へ帰国した。
今日から新入生をスクールまでアテンドする仕事があるという。
彼は1年後LAに入る。
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