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社長ブログカテゴリー記事の一覧です

センス代行サービス

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友人から面白いサービスをしているところがあると聞いて直ぐにアクセスしてみた。

クラウド的な仕組みは現代にマッチしたサービスだった。

ファション代行サイト「bemool」オシャレな女性が男性の為に服を選んで自宅に届けてくれるのだ。

私のようにファションセンスがない男としては大変ありがたいサービスである。

まず、サイトからスタイリストを選択する。
7名のラインナップから好みの2人を選ぶ。
基準は必然的に自分のタイプの女性になる。

予め決められたフォーマットにサイズを入力し好みの色や趣向、写真を送ると選択した2名のうちどちらか一人のスタイリストがコーディネートしてくれる。

予算感は最低3万円からでアウターから靴までチョイス出来る。
私は3万円の予算でアウター、インナー、パンツ、靴を依頼したが、メールのやり取りで予算がオーバーしてしまうので、金額を上げるかアイテムを減らすかの選択になったが、予算は気にしないでコーディネートして欲しいと伝えた。

すると、スタイリストから2つの提案があった。
どちらも3万5千円位だったので両方注文してみた。

彼女たちは、入手した情報の中でコーディネートするのだが、自宅に商品が届くまでは詳細は明らかにされない。

そんなメールをスタイリストとやり取りをしていて気づく事があった。
メールのレスポンスはさほど早いわけではなく、土日に関わらず深夜に至るまでメールが届くところを見るとかなり忙しくビジネスは繁盛していると見た。

初めてのやり取りから商品が届くまでに約2週間だった。
ダンボールに詰められた商品は確かにセンスを感じるものだった。
出した予算もあって、質はともかくオシャレ感があり、自分では絶対に選択しないであろうアイテムが揃っていた。

パッとみたところ、仕入れは半額位ではないか。
2週間のタームを考えると彼女たちもネットで商品を吟味して購入するのだろう。
あるいはスタイリストは在宅でも仕事が可能なので、事務局のコストだけを考えたら数が増えると粗利50%とすればそこそこ商売になるだろう。
但し、どこまでマーケットがあるかどうかだ。

ファションセンスがあったり、自分のこだわりがある人達には実際に店舗に足を運んであれこれと選ぶ楽しみもあろうが、私なんかはそこに何の価値も見出さないので、代行してくれてかっこいいファッションが実現した方が断然いいのだ。

このようなグランド的な発想のサービスは益々繁栄していくだろう。

1日1食

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あれから2週間、だいぶ慣れてきた。
天然村スタッフ安斎から1日1食を勧められて徐々に身体を慣らしてきた。

私は通常2食で朝がスムージー、昼は気にしないでたくさん食べ、夜は炭水化物を除いたものを普通に食す。
実質2食の生活をしていたが、毎日運動は欠かさないので、体重を気にすることは全くなかったが、花粉症の要因として食べることにありと安斎に指摘されて実行に移したのだ。

やり始めた当初は、昼過ぎの14時位になると空腹感がピークになり、そばやうどんを軽く食して夜は以前のままで徐々に食べる量を減らしていった。

そして、身体が慣れ始めてから最初の食事を16時にするようになった。
この時間まで待ってたくさん食べると、夜は空腹感は少なく1日1食のサイクルが回しやすくなるからだ。
その際は空腹のストレスを一気に解消すべく、炭水化物も何もお構い無しにしこたま食べてやろうと意気込むも思ったより食べられないこともあった。
胃の状態が通常より小さくなったせいだろう。

こんな感じで徐々に1日1食に慣れてきた。

すると友人からある本を勧められた。
「食べないひとたち」マキノ出版 である。

本当にそんな人たちが存在するのか半信半疑で読み始めてみた。
完全に不食ではないが実際にそれに近いことをして生活している人物が紹介されていた。

例えば、6年間水も飲まない弁護士、18年間1日青汁1杯鍼灸師、不食の人体実験に自ら挑んだ思想家など、彼らが体験した実例に驚愕してしまった。

さすがにここまで行くと花粉症どころでなくなってしまう。
と言うよりも、この話を周りの人に伝えると気が触れた異常な人として、私自身が変人扱いされる始末、おまけに宇宙人だとも言われ押し黙ってしまった。

間違っても不食を目指そうとは思わない。

食べる事が人一倍楽しみがある私にとって不食なんて無縁である。
1日2食だった頃は昼と夜の食事2回が楽しみでもあり、かなりこだわって店も選んでいたし、それが1回に減ったことで花粉症と相殺する選択をしたのだ。

いや、1日1食を実施する事で花粉症が治るとは限らない。

あくまでもテストランの期間でどの位の効果があるか検証している。

ストイックな私の事だから花粉の時節が過ぎたところで、このサイクルを元に戻すことのないのは容易に想像出来る。

空腹を我慢するプロセスも何となく楽しくなっている私は少し変かも知れない。

捨てたところに余白が出来る

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捨てたところに余白が出来る。
経営は足し算ではなく引き算である。

約8年前に松井証券の松井社長から聞いた言葉だ。

何か一番大事にしている部分をやめる(捨てる)決断をする事で飛躍への一歩を踏み出す。
松井証券は当時営業マンが外回りをして注文を取ってくるのが、当たり前だった頃にそのやり方を捨て、オペレーションで注文を取るやり方に変えたのだ。
そして、インターネットの時代が到来してネット証券の黄金期がやってきた。

先に足すのではなく捨てることを先にやることが肝要になる。

思い切って一番大切な価値感あるやり方を捨てる。

当社も18年前に主要業務の不動産仲介を捨てた。
仲介から直接借りたり貸したりする当事者に転換する事で、フローとしての仲介手数料ビジネスからストックとしての賃貸料を稼ぐヒジネスへと変わったのだ。

おかげでEBITDAが(償却前の営業利益)2億円になった。
仲介をやっていたら、捨てる事をしなかったらこの数字は出せなかっただろう。

しかし、18年間足し算でやってきたが、この辺で思い切った引き算をする時期が迫っているようだ。
一番大切にしているやり方を捨てる事で次の飛躍軌道に乗せるのだ。

時代の変化がより一層スピードが増しているために業界を問わず大手から中小企業まで現状維持のやり方をやっている会社は消滅して行くだろう。

先日、東証一部上場企業の社長Y氏とランチ会があって話を聞いたら、最近Y氏へ銀行や証券会社が国債を積極的に勧めてきているようで、彼らは国債が売れると国から手数料がもらえるそうだ。
とにかく、国債を売りまくっているらしいのだ。
国が銀行や証券会社に手数料まで出して国債を売っているのだ。

これは危ないと見るべきだろう。

金利が上がったら最後、あとは債権債務の相殺でチャラにして手仕舞いする算段ではないか。

まぁ、こんな背景からも読めるが環境が激変しても耐え得る会社に、ビジネス構造に変化しておく必要性がある。

それが、捨てる事にある。

それは、今はここに書けないが英断するしかないだろう。

至福のひと時

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habitation stayle
当社のタグラインである。

「複数の拠点を持って行き来するライフスタイル」という意味になる。

私自身もこれを実践している。
埼玉、東京、千葉に拠点を持ち、好きな時に行き来しながらライフスタイルを楽しんでいる。
一週間続けて同じ場に居る事はなく、好きな場へ好きな時に行ったり来たりしている。

昨日は天然村で醤油しぼりと味噌造り体験イベントが行われた。
東京から1時間20分の道のりで、館山道の鋸南保田インターを降りると、すでに辺りは春の時節を感じとれた。
菜の花をはじめ、水仙ロードと呼ばれているように水仙がお出迎えしてくれている。

8時過ぎに天然村に到着すると既に準備をしていた。
ゲストは来てなかったが、発酵の魔女K氏と醤油絞りの達人I氏は忙しく動いていた。

2人とも東京からの移住組で、それぞれの得意技を磨いて達人の域までになっているようだ。

K氏は酵母菌を使ってパンや味噌造りを得意としている。
今回は味噌造りのをレクチャーしてくれる。
天然村より更に山奥に住む女子アナ風な彼女は、外見からは想像できないライフスタイルをしている。ほぼ自給自足の生活のようだ。

ブロックを囲んだ中に薪を入れて火をおこし、そこへ大豆を入れた大鍋を置いて約5時間煮たてる。

一方、醤油の達人I氏は天然村で約1年熟成させた醤油の麹を絞り機で生醤油にする。
これが古来から伝わる方式で布の中に麹を入れてゆっくりと絞り出す。
そして、絞り出した生醤油を大鍋に移して薪で熱を加えて菌を消滅させる工程に移る。
88℃まで薪の量で調整する技はまさに達人の域である。
そこがMAXで、あとは薪をどかして自然に冷やす。

これが手間暇かけて1年間費やした手作り醤油の完成だ。

私も一から体験したが、朝来た時から花粉が飛び散る影響でくしゃみが止まらず、おまけに鼻水がダラダラとだらしなく流れてきて、ティッシュで鼻をかみすぎて鼻の下が赤くなる始末。

その様子を見ていた天然村スタッフの安斎が一冊の本を見せてくれた。
タイトルが1日1食主義というもの。
要するに現代人は過食による弊害で花粉症もその一種だと。
1日1食にすれば花粉症も治ると一刀両断である。

そんな彼女も自宅のサンルームで陽を浴びながら読書をしているのが至福のひと時だという。
K氏やI氏も同様にゆったり流れる時間の里山での暮らしを通じて、それぞれの至福のひと時を感じる場面があるのだろう。

私は東京は何でもお金で買える利便性の高い場であるし、醤油だって味噌だって本物のオーガニックな品がお金を出せば直ぐに手に入る。

しかし、場はどんなにお金を積んでも買えない。
そこへ行かないと、東京では体験出来ない自然の香りや野草、空気、人との触れ合いなどがある。
東京では味わえない至福のひと時がそこへ行けば体験出来る。

これがhabitation styleの真髄だろう。

真冬のバイク乗り

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天然村へバイクで行こうか迷っていた。
昨年の11月から全くエンジンをまわしていなかったので、タイミングをみて機会をつくり乗りたいと考えていた。

しかし、前日の疲れが残っていて体が重く痛みもあって、躊躇する要因となっていた。
昨夜はキックボクシングのトレーニングをしていた。
週に一回の基礎練習の日になっていた。
この基礎練習はキックやパンチの基本的な型を中心に蹴り込み、打ち込みを徹底してやるのだ。
私の苦手なキックの型を何度も注意を受けながら蹴り込んでいるが、一つ注意を受けたことが出来たと思うと、もう一つ注意を受けた事が出来ていなかったりと、幾つかの課題を同時にクリアするのが難しく、居残り練習までするようになり、かつて学生時代に部活の先輩から受けた洗練を思い起こし、果たして自分がどこに向かっているのかわからなくなってしまう場面もあり、トレーニングが終わるころには疲労困ぱい状態になる。

そんな状態でバイクに乗るのかどうか当日直前まで決めかねていた。

朝のテレビの天気予報では日中は暖かくなり13℃までになるとの事、これが決め手となりバイクで向かうことにした。
ところが、アクアラインを過ぎたあたりから寒さが増してきて、手が凍りつきそうに寒くなっていた。
現地に着いた時には身体全体が寒くて、しばらくは暖房のそばに居ても寒くて仕方なかった。

当日は10:00から天然村で打ち合わせの後、外房から内房へ物件の視察に行く予定になっていた。
午後から車で移動している時は予報通りのポカポカ陽気で、海辺にはサーファーが賑わっていた。
祝日だったので、すれ違う車のナンバーを見ると他県からが目立っていた。
比較的温暖な南房総エリアは都市部からも近く、日帰りで家族や友人で楽しめる場所としても知られている。特にアクアラインから館山まで高速道路が乗り入れたのが、大きな要因となった事は間違いない。

内房の不動産業者を訪れた際も、都市部から別荘地を買い求める人も多いと言っていた。
確かに内房エリアとして知られている、富津周辺は東京から車で1時間かからないアクセスの良さがある。
海が見える物件の視察が終えて天然村に戻ったのは夕方になっていた。

徐々に寒さが増してくるようで、これからバイクで帰ると思うと憂鬱になっていた。
天然村を出たのが18時を過ぎていた。
意を決してスタートしたが、寒さが想像以上で真っ暗な山道では、鼻水が出始めてヘルメットの中から曇ってきて視界が悪くなり、身体はブルブルと震えが止まらなくなっていた。

何とかこの局面を乗り越えなければと思い、大声で歌とも言えない歌を歌いながら、二度と冬場のバイクは乗らない決意を固めていた。

トンネルに入ると寒さが多少和らいだが、トンネルを出ると極寒の世界に舞い戻る。
前日の影響もあり、疲れがピークになっていて腰の痛みと腕の疲れが一度に襲ってきている。

六本木に着いた時には手足が思うように動かなく、直ぐにジャグジーへと向かった。
何分経っても身体が温まらない、おまけにサウナに入っても同じで体の芯から冷えてしまったようだ。

やはり、冬場のバイクはしっかり厚着をして、ホッカイロをたくさん準備するか、乗らないで春まで待つかだが、今回の体験からすると後者を選択することになるだろう。

イートイン

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メガネの修理に高島屋新宿に行った時のことだった。

デパ地下に入ると凄い熱気に包まれていた。
それは、安売りセールで人々が殺到しているような気の種類とは違っていた。

実に華やかな食の宝庫と言ったところだろう。
足を踏み入れて間もなくすると香ばしい匂いに刺激され、こんなにも数多くの食を様々な演出で提供する場所があるのかと驚愕してしまった。

デパ地下と言えば、豊富な惣菜や弁当類の印象があるが、ここはスケールが大きくパン屋で3店舗、地方名物の名古屋手羽先や大阪イカ焼き、みたらし団子やポタポタ焼きなどは列をなしての大人気だった。

その中でも特に目を引いたのが、イートインコーナーだった。
惣菜類を自らチョイスしたものをすぐ隣りに用意されたスペースで味わう事が出来るのだ。
ここのイートインは老舗の店、浅草今半や日本橋たいめいけん、日本橋千疋屋のフレッシュジュースなど、各店名物メニューが揃っている。

最も注目したのが、イタリアンの惣菜を扱っているショーケースに生ハムの極上品があった。
これを適量で買ってイートインでワインとセットで楽しもうと思ったが既に満席だった。

イートインの胆は、このようなトンがった品が自分の食べたい量を注文して、すぐ隣りで食べれる点にある。

中華の惣菜や揚げ物などは自宅に持ち帰ってレンジでチンして食べるのと、出来立て揚げたてほやほやのやつをその場で頬張って食べるのは雲泥の差が生じてしまう。
これらを扱うイートインは無かったが、私だったら立食いコーナーを作って色んなものを食べられる場を提供したいと考える。
私は少量を数種類選択するタイプだか、このような選択は実際の店舗では難しく、実現出来たとしてもブッフェのようなそこそこの料理になってしまい、トンがった品を揃える事が難しい。

その他、フレンチや甘味処、ケーキやジェラートなどのイートインがあったが、どこもいっぱいで賑わっていた。

待つことの苦手な私は結局イートイン体験はせずに、餃子とから揚げのB級試食で手仕舞いにした。

もし、デパ地下直結のレジデンスがあったらどんなライフスタイルになるだろうかと想像してみた。

もはやイートインは不要になり、常連になった私は電話一本でルームサービスとして簡単に頼めて、試食のように本丸の商品を好きな量だけフリーで食べられ、オリジナルの弁当を注文して移動中のランチにする事だってできちゃう。

これらは、全部部屋付けの決済システムになっているので、サインひとつで済み細かい清算はしなくていい。

デパ地下直結レジデンシーズ、どなたか作って下さい!

モデルS

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米国の大起業家であるイーロンマスク氏のビジョンに共感して、注文したテスラ社のモデルSがようやく納車になった。

注文してから丸1年になる。

結論から言うと、この車はパソコンにタイヤがついた機能的な移動手段の電子機器である。

おまけに、近い将来にはアップデートされて、プログラムされた意思をもつロボットになる印象がある。

一番目を引く機能はアプリから遠隔操作が出来る点にある。
車体が常時インターネットに接続しているので、例えばどんなに遠距離でもドアの開閉が操作でき、エアコンやサンルーフの開閉も簡単に出来て、充電もボタン一つで開始する。
要するにガソリン車に例えると遠隔操作でエンジンがスタート出来るのだ。

これは、もはや映画のシーンにある無人で送迎が可能になるという事になる。

タクシーや代行業者に変わる新しい業態が誕生する事を示唆しているかのようである。

実際に運転してみて一番印象に残ったのが、ブレーキをほとんど必要としない機能が備わっている点にある。
それは、アクセルを離すと自動的に減速する機能があり、それをタッチパネルで調整できるのだ。
車高の高低もタッチパネルで簡単に操作できる。
従来の車は車内にあるボタンで操作するのに対して、モデルSはほとんどの操作がタッチパネルで加減が調整できてしまう。

しかし、重要な課題が一つある。

それは、走行距離が想定外に短い事にある。
フル充電して、300Kmに届くかどうかである。

例えば、少し遠めのゴルフ場で1時間30分かかるとすると、ちょうど往復で少し余る程度の感じだ。

遠出するとなると心もとないのが現状である。

充電は六本木のグランドハイアットホテルにある充電施設、スーパーチャージャーを無料で利用出来て、約1時間でフル充電になる。

しかし、自宅に備えた充電機の場合はフル充電まで6時間を要する。
また、容量が60Aだとブレーカーが直ぐに落ちてしまう。

先日も、娘がシャワーを浴びているとブレーカーが何度か落ちて、大クレームになってしまった。
「パパの都合で何度も電源落ちるなんて信じられない、電気自動車なんて変な車買うからだよ!」
私もついカッときて、「お湯が出ないなら水を浴びろ!パパは毎朝水を浴びてるんだから少しは見習いなさい!」
何とも訳のわからない言い分になってしまった。

要するに日常生活に支障が出てしまうのだ。

そこで、電気容量を100Aに変更する手続きを済ませた。

今後の課題である充電システム、インフラが広がりを見せてくれると、電池残量を気にすることなくドライブが楽しめるようになる。

ガソリンの燃料費に比べて格段にコストがかからない他、地球温暖化に貢献できる社会的に意義ある電気自動車、またそれに類する燃料電池車がこれからの車の主流になるだろう。

鮨職人

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恵比寿の雑居ビル5階にある「鮨早川」の店主である弟から珍しく食事の誘いがあった。

銀座にある「鮨青空」に一緒に行って欲しいとの事だった。

彼も私もまだ行ったことはなかったが、ここの店主があの数寄屋橋次郎で修行した人物だという。
銀座8丁目の雑居ビル3階にある鮨青空は「はるたか」と読むそうだ。
店主の名前がそうらしい。
弟が40歳になるが一つ上になるようだ。

10年前にこの場所で創業して、ミシュラン二つ星を獲得して名乗りを上げた実力派だ。
次郎で修行した際は、辞めるまでに鮨を握る事がなく、裏方での日々が続いていたが、店が終わってから密かに握りの練習をしていたそうだ。

そんな銀座の名店で何かを感じ取り、自らの学びとしたかった弟が約二か月前に予約をしたのだ。
カウンター10席と小上がりのある程度なので、予約はなかなか取れないようだ。

店に入りカウンター席に座ると、板場にいた店主がすっと厨房へ移動した。
弟曰く、同業が来たから抜かるなと調理場へ気合いを入れに行ったと言っていた。

彼ら鮨職人は雰囲気で直ぐに察知するらしい。
弟も見るからに職人丸出しで、私は鮨を握っていますと言わんばかりの顔なのだ。

調理場から戻った店主は今日はどうしますか、と我々に尋ねた。
弟はお任せしますと言った。

彼らのような鮨屋では、握りかコースの選択をするようだ。
握りの場合、つまみ料理は一切なくて好みのネタを注文するか、店からお任せのネタが出される仕組みになっている。

握りだけの場合、一人2万5千円位、コースだと3万5千円位のお代になる。

席を見渡すとカウンターの奥に陣取っている年配のカップルは常連さんのようだった。
食べ慣れている雰囲気が漂っていた。

驚いたのは1人客が目立っていたのだ。
私の隣とその隣も男性1人で、熱燗をちびちびやりながらも、コハダとガリの巻物を注文したり、からすみを一枚とか、いかにも通な感じの職人とのやり取りをしていた。

私はどんな奴だろうかと横を振り向き顔を拝んでみると、まさにオタク系父ちゃん坊やなのだ。
この手の店にはよく出没すると弟は言っていた。
弟の店は当初、この手の輩を受け入れたくない為に、1人客お断りの方針だったらしい。

何か面倒くさくて、薄笑いしながら食べている姿を見ると、気持ち悪く背筋が寒くなるからだと言っていた。
しかし、食べログの書き込みとかも彼らが主役のようなので、無下に出来ない実情があるようだ。

食後に弟から今日のディブリーフをしたいからお茶を飲もうと誘われた。

弟の感想は、海苔が決定的に違う5段階で最上ランクのものを使っていて、尚且つ炙っているので、パリッとした食感はひと手間かける次郎流だと絶賛していた。

私の感想は一言で表すとコスパが悪い。

しかし、ネタが最上級の中でも特にとんがっていたのがウニと赤貝だった。

この2品はこれまでに味わったことのない絶品中の絶品だった。
ウニは濃厚なこくの効いた甘みと、塩の加減が絶妙にマッチしたものがじわーっと口の中で広がっていく感じは素晴らしかった。
赤貝はその場で殻から取り出す手間のかけようで、見たことのないプリプリした肉厚は赤貝本来の味が凝縮していた。

世の中にこんなウニや赤貝があるんだなと思い知った体験をした。

地方で取れる最上級ランクの魚介類は、東京でこの手の店が破格の値段で買う構造になっているので、東京の格式高い名店でしかお目にかかれない。
地元は我慢をしてランク3〜4程度が美味いとされる所以だと理解できた。

弟が今回学んだ事で、どんな手間をかけた仕事を見せてくれるか、これからが楽しみである。

大分視察

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K氏は72歳になる障害者だった。

この日初めてお会いするまでは、印鑑専門店を経営する人物が10年前にアクアポニックスを発明して特許を取得してると聞いていたが、実際に現地を訪れてみると、本当に古びた印鑑を売るお店に電動車椅子に乗っている初老の人物が待っていた。

店内には水槽が幾つかあり魚が泳いでいた。
非常にシンプルな作りで水槽の上に野菜が育っていたが、何か特別な装置というより観葉植物が水槽の上に存在している印象で、想像していたものよりも簡易的なものであった。

私が最初に目についたものは額に飾ってある一枚の絵であった。
その絵は「みんなの長屋」と題したコの字型に配置された長屋を取り囲む庭で、子供達が手を繋いで遊んでいる風景があった。

私がK氏に訪ねると、現代の隣り近所の希薄な人間関係を昭和初期までは当たり前にあった家族同然の付き合い方を再現させるのが、私の夢だとはっきり言っていた。
その為にこの長屋コミニティをハードとソフト両面で確立する必要がある。
夢を実現するにはK氏は残された時間は少ない。

私が感動したのは、72歳になっても夢が明確にあり、障害者のハンデをもってしても諦めないメンタルの強さだ。
また、天然村にも通じるものを感じて私は息子さんの事を質問した。

何と彼の息子は高校二年生であった。

アクアポニックスの装置も息子のお導きによって実現したのだ。
息子は魚が好きで水槽で魚を飼育していた事がきっかけとなり、たまたま水槽の上に植物を置いていたら、成長速度が信じらない位の早さと大きさになったのが、この研究を始めたきっかけになったそうだ。

私は息子には会えていないが、何か不思議と縁深いものを全身で感じとった。
K氏の夢を実現するのは息子と我々が関与するような直感があるのだ。

これまでの研究成果を写真と共に説明してくれた。
そして、我々の質問にも明快に答えてくれた。
この研究結果を生かして自ら事業にすることは困難であることから、我々にそれを実現して欲しいと言っていた。

確かに魚の糞を栄養分にした野菜は成長が著しく、本来のオーガニックな野菜がたくさん収穫出来て、野菜の発する微生物が魚の栄養分になっているので、魚の動きが別な水槽と比べると明らかに違って活発になっている。

これを不動産とディスラプティブする事で、新たな場の活用が可能になり、イコムの事業の強みが発揮出来るのだ。

今回初めて訪れた大分別府、気候も環境も素晴らしい地域で、おまけに温泉の泉質が素晴らしく、郷土料理のコスパはハンパなく凄かった。

「由布御所」のヤマメ塩焼きは大きく身が柔らかであっさりした脂がのっていて美味しかった。
「ろばた仁」では、郷土料理の鳥てんが驚くほど柔らかくジューシィーで締めのだんご汁も最高だった。
「友永パン」は朝から大行列が出来る大正時代からの老舗パン屋さんで、バターフランスという品は絶品で並んで待っただけの価値ある一品であった。

こんな素晴らしい場所で天然村プロジェクトが動く事になるとは、本当に夢を追うのに相応しい条件が揃っている。

K氏との出会いに感謝である。

大掃除

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捨てすぎてしまったようだ。

年末年始にかけて猛烈な大掃除を実施した。
延べ16時間に及ぶ掃除は捨てる事から始まった。

本来の清掃の本筋は捨てる事にあると確信している。
表面を綺麗にするのは本当の掃除ではない。
捨てたところの場所を綺麗にする、または、物を動かして元の場所を綺麗にする、要するに見えない場所を徹底して綺麗にする事が肝要になるのだ。

ところが、我が家では私が毎朝トイレ掃除を徹底してやっているが、他の場所は妻に任せていた。

実は妻は掃除が凄く下手なのである。

捨てる事が出来ずに溜めているのが最も大きな要因だ。
何年も着ていない洋服や、賞味期限切れの食品は冷蔵庫から捨てられずに残っている。
おまけに、調味料なども賞味期限切れになって数年経過している品も多々ある。
また、空き缶や空瓶も上手に処分出来ずにいる。

そんな状況を見て注意を促していたが、一向に改まらないので今回の年末年始の機会に徹底してやろうと思ったのだ。

とにかく捨てるところから始めた。
ビニール袋をしこたま用意して分別しながら一心不乱に休みなく朝9時から夕方5時までぶっ通しで二日間やった。

気がつくと思い出の写真や品々、衣類、通帳、印鑑、お気に入りのコート、学校のジャージなど、ありとあらゆる余分な物を全て捨て去っていたのだ。

呆れ返って言葉を失った妻は、まるでブラックホールに吸い込まれて別次元に連れて行かれたかの様であった。

おまけに冷蔵庫の中の物は全て捨て空っぽの状態、調味料も賞味期限の有無に拘らず全て捨てた。
とにかく捨てる事にこだわったのだ。

本当に綺麗に何もなくなってしまった。

そして、ここからが本番で冷蔵庫を移動して裏に溜まった沢山の埃を取り除き、雑巾がけをしながら全ての棚を出して綺麗にした。
洗濯機も同じ様に歯ブラシで髪の毛を取り除き、浴室も同様にレールの汚れを歯ブラシで取り除いた。

この様に、全ての物を移動してやり終えた。

疲労困ぱいで腰が痛く、しばらく放心状態であった。

しかし、妻が現実の世界に舞い戻った際には、怒りが込み上げて私を猛烈に非難した。

捨てるのも加減があると言っている、至極まっとうな表現だと思うが、捨てるという行為はそれほど難しいという事だろう。

私は謝らなかった。

捨てる事の価値観のギャップが大き過ぎるからだ。

思い出の品々や写真も時々見返すから価値があるわけで、押入れやクローゼットの奥に他のゴミとも思える紙と一緒にしてあれば、それは不可能なわけで私にしてみれば、もうそれは永遠に見ることのないゴミと化しているのだ。

妻の言い分は、いつかは必ず使うからとっておく。
しかし、残念ながらいつかはやって来ないのを理解出来ないのだ。

今回のように私が強引に全て捨て去らない限り、本来の清掃が実施出来ないのだ。

普段から整理整頓して初めて成り立つ事で、それを理解させようにも全て捨て去った後には、もはや困難なわけで、何とも硬直した時間を過ごす事になってしまった。

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