社長ブログカテゴリー記事の一覧です
よく食べる男
すっぽん料理の締めに納豆うどんを食べた。
すっぽんの出汁に納豆を混ぜる、珍しい料理は初めてのチャレンジだったが、やや辛口の汁と納豆が絶妙にマッチしていて美味しかった。
浅草観音裏にある「魚がし」は老舗でフグがメインの店だ。
その後、バーで軽く飲もうと思いきや、一緒にいたK氏はいきなり言い放った。
餃子が食べたいと。
魚がしの店主にこの辺りで美味い餃子を食べさせる店を訪ねると、道を挟んだすぐ近くの中華店を紹介してくれた。
もう一人のM氏は食事を意図的に制限している最中だったが、店に入り三人で餃子3皿に腸詰をつまみに加えて、レモンサワーを注文した。
すっぽんの店主が紹介するだけの餃子であって、一つが小粒ながら薄皮でパリッと美味かった。
するとK氏は餃子4皿を追加注文した。
それもペロッと平らげた上にチャーハンを注文したのだ。
私はあまりの食欲に驚愕してしまった。
すっぽん鍋を食した後にアフターで中華店へ、締めが餃子にチャーハンなんて、聞いた事がない。
一方で、M氏は終始抑え気味に徹していた。
本来はK氏と互角、いやそれ以上の大食漢である。
しかし、背に腹は変えられず、既に糖尿病が要因して、目にきているのだ。
散々やりたい放題やってきたツケが回ってきたのだ。
彼の本来の実力ならば、あの中華店を出てから焼肉を食べるくらいは朝飯前だっただろう。
あれから一月後に三人でランチをした。
神保町にある中華料理店「新世界菜館」が舞台となった。
ここの餃子は一つが大きく、もっちり感ある皮にジューシーな肉汁に定評がある。
これを6個に、中華丼大盛りは私とM氏が注文し、K氏は上海焼きそばの大盛りを注文した。
私とK氏が大盛りを注文したので、M氏は抑え切る事叶わず、しかも早々と完食。
一方で、私はかなりの量にほとほと参っていた。
結局、3分の1を残してギブアップしてしまった。
すると、K氏はすかさず私の方へ目を向けると、私が残した中華丼を食べたいと申し出ると、あっという間に完食してしまった。
K氏は飯を食べている時、普段仕事で見せる事のない表情を現す。
子供が腹が減って美味しい晩御飯にありつけた時のような、純粋無垢な満面な笑顔でムシャムシャ食べる姿は、見ていて気持ちがいい。
でも、飯がたくさん食べられる事は決してマイナス要因だけではないだろう。
M氏のような病の方は別にしても、その分、運動でカバーするなど、バランスを取れば年を重ねるごとに食欲が減退することを考えれば、K氏のような満面な笑みを浮かべながら食べる食事は一緒にいても清々しい感じを受ける。
るろうに剣心
るろうに剣心が映画化されて、一回目を見たら非常に中途半端に終わってしまい、二回目の続きを心待ちにしていた。
しかし、残念な事に見事期待を裏切ってくれた。
一回目の盛り上がりから比べると、今回はまったくつまらなかった。
そもそも、よくあの漫画を映画化したと思ったが、漫画に出てくる人物イメージと俳優のギャップをいかに埋める事が出来るか、ここが一番の勘所だと思ったが、主人公の剣心役を佐藤健が演じている。
彼はかなり上手にやっていたと思う。
迫力感ある演技をしていて非常に良かった。
一方で、悪玉の親分である志々雄役を藤原竜也が演じていたが、これは正直いただけなかった。
もっと悪役が似合うキャスティングで、声も漫画の声優に近い感じのトーンを出して欲しかった。
まぁ、漫画をそのまま映画にする、例えばコナンのような映画版のストーリーを新しく制作する方がコストもかからず、リスクが少ないように思うのだが、どうなのだろうか。
個人的には漫画のるろうに剣心が大好きで、宗次郎の縮地という技がお気に入りだったが、映画のシーンでは残念ながら出てこなかった。
というか、表現が実現不可能は明らか。
この実現不可能だから漫画は楽しいのだ。
とんでもない、現実離れしたシーンがあるからこそ漫画なのであり、そもそもこれをキャスティングして映画化する方が土台無理な話しなのだ。
例えば、ワンピースだって、ドフラミンゴが空を飛びながら糸を繰り出して、街を壊すシーンにしてもそうだし、シュガーが人間をおもちゃにするシーンや、クザンのアイスバーンであたり一面を氷らせることだって、もし映画化したらキャストが演じるのはもはや実現不可能なのである。
この夢のような物語を映画化することで興醒めしてしまう。
ルパンも小栗旬がやっているようだが、どうなのだろうか。
やはり、期待が高くなる分、お客様が満足するには難しいだろう。
やはり、漫画は漫画のままで映画化して欲しいものである。
それと、映画を見ながらポップコーンをむしゃむしゃ食べる、あの音も何とかならないものかと。
A型の私としては気になってしまう。
アクアポニックス
天然村を媒体にK氏と初めて会ったのが、今年の7月31日、鴨川の海辺にあるオーガニックレストランだった。
アフリカと日本のハーフの彼は東京で生まれたが、学生生活は大学を含めてイギリスだった。
その後シリコンバレーで映画関係の会社を起業し、バイアウトして日本に一時帰国するも3:11に遭遇して、これからの生き方を見直すきっかけになったと言う。
彼と話して印象に残った言葉が、循環型社会とオーガニックだった。
循環型とは低エネルギー消費生活、オーガニックと掛け合わせるとロハスになる。
ロハスとは天然村の原点にあたり、健康で持続可能性のあるライフスタイルだ。
もう一つ、アクアポニックスである。
これが循環型の小世界を意味する商品でヨーロッパ、特にドイツで実用化されている商品である。
魚と野菜をそれぞれ別にして、水槽の中にいる魚が排出する固形廃棄物が植物の栄養になり、自然発生する微生物が魚の栄養になる、魚と野菜を同時に育てる再循環型システムである。
これが天然村のコンセプトと一致する事で、色んな可能があることを示唆してくれた。
ただいま、天然村で試作品を作っていて、年内に様々なデータ取りが行われる。
彼の父親の故郷、アフリカのタンザニアに訪れた際に、貧困で食料不足の事情があると思い込んでいたが、現実を見た彼は衝撃を受けたそうだ。
現実は果物の樹木が数多くあり、地面には幾つもの果物が木から落ちていたという。
なぜ、これだけ豊富な果物があるのに人々は貧困なのか、彼は不思議に感じて実態を知るべく、調べてみるとある経済システムが浮き彫りになった。
隣の地域で果物を加工、商品化したものを仕入れている構造になっている。
タンザニアには資源が豊富に存在しているが、これを地域で商品化しないので、この現実に何の疑問を持つ事なく、貧困の生活から脱却出来ずにいる事にギャップを感じたと言う。
このような事は国内の地方でも多くの実例が見られる。
農家が生産した農産物の流通の構造が同じである。
K氏は自ら農業を生業としている。
年度初めに農業委員会との話し合いの場があるそうだ。
予め決められた品種の中から、生産量と販売価格を割り出し、そこから肥料等の諸経費を差し引いて実収入を算出している。
新しい品種のチャレンジや、消費者に直接販売するルートを構築するような試みも一蹴されるようだ。
要するに農業の構造が何らタンザニアと変わらないのである。
このギャップを何とかしたい。
彼は力強く言い放った。
そして、起業家の経歴を持つ彼は壮大なヴィジョンを持っていた。
世界を視野にギャップのある地域に貢献したいと。
来年彼と一緒に農業生産法人を設立する。
それぞれの夢を実現させる為にアクアポニックスを突破口に天然村が新たなステージに進む。
社内結婚
社内結婚第一号となる結婚式があった。
創業から20年で初めての社内カップルのイベントだった。
主賓の挨拶をするのも、通常は新郎か新婦のどちらかの立場でスピーチすることはあったが、
今回は私の他に常務とマネージャーからのスピーチもあった。
私はこの主賓の挨拶に疑問がある。
何か形式的な話が一般的で、本音のざっくばらんな話をした方がより親しみがあると思っている。
しかし、世間ではイレギュラーに値するようだ。
私はしばしばこれをやるのだが、良い評価を受けた事がない。
今回は予め考えていた内容の半分も話さなかった。
場の雰囲気が違っていた。
新郎新婦の共通する会社の代表者として、形式的な挨拶を普通に話すような雰囲気に包まれていた。
おまけに、長い話も好まれない雰囲気を感じた。
でも、やはり形式的な挨拶はつまらないと思う。
常識は保ちつつも、本音トークが自然に出る雰囲気を式場側にも協力してもらいたいと感じた。
主役は何と言っても新婦である。
そして、挙式から披露宴までの企画、構成も新婦の気持ちが強く現れていた。
一方、新郎は脇役で、彼女の盛り立て役を全力で演出していた。
特に挙式のワンシーンは感激して涙した。
教会のスクリーンには新婦と父親の思い出のシーンが映し出されていた。
幼児期から思春期迄の父親との関わりに焦点を当て、思春期からの父親との対話が少なくなり、幼少期との父親との関係には戻れなくなるが、言葉には発する事はなくとも、気持ちは感謝の念を抱いていたと言うシナリオの映像が、バージンロードを共演する前に盛り上げる企画になっている。
この辺りは形式的な挙式とは事なり、非常に良かったと思う。
いつの間にか、自分事になっていた。
しかし、なぜ娘と父親の関係はそうなるのだろうか。
我が家でも全く同じようなので、何かのメカニズムが働くのだろうか。
一方で、新郎の家族を見てみると、お兄さんとも凄く仲が良く、父親と母親ともストレートな関係で、一家団欒の雰囲気を感じた。
そんな新郎も最後の花束を手渡すシーンでは号泣する場面もあり、本当に幸せな家族に囲まれて育ったんだなと感じた。
人生最大のセレモニーである結婚式。
20年前の自分の結婚式から比べるとウエディング業界も多様化していて、企画演出によって参列者を感動させるシーンが格段に違っている印象を受けた。
我が家の長女はどんな挙式をするのか、今回のようなシーンがあると困ってしまう。
涙が止まらなくなるかも知れない。
登校拒否の次女は無事に幸せな結婚にたどり着くのだろうか。
原点に帰り、未来の絵図面を描く必要を感じている。
登校拒否
我が家の4人の子供の末っ子が登校拒否になって10日余りになる。
3番目の次男に次いで、またもやの出来事に妻は当惑している。
次男と違って物静かな性格の彼女は、人見知りが激しく学校でも友達がほとんどいないと聞いている。
自分から話しかけたりする事が出来ないので、学校生活でも一人でいる時間が多いそうだ。
そんな状況を聞いて、私は深い悲しみを感じていた。
私が学校に出向いて、クラスに紛れ込んで彼女は本当は皆と話したくているのに、恥ずかしがってるだけだから、私も混ぜて皆で仲良くしようよ!なんて事を真剣に目論んだこともあった。
しかし、そんな事をしたら逆効果だと妻にも子供にも言われお蔵入りしていた。
そんなある日、美術の授業の時間に、先生が夏休みの宿題をやって来なかった人は手を上げて下さいと言った時に、彼女は小さいゼスチャーを見せたが、先生はその存在に気付く事なく、今日は早川さんはお休みですか?と教壇から聞いた際に、ある男子生徒がはい、休みですよ!
と発したらしく、この出来事で自分の存在価値を失ってしまったようだ。
これは彼女と妻のLINEのやりとりで私は知る事になるのだが、その末文にもう耐えられないとあったのだ。
私はその瞬間怒りを覚えた。
まずは学校に連絡をして、担任の先生に自宅に来るように言った。
そして、美術の先生に連絡して事の真相を問い質した。
もしかしたら、先生は彼女が居るのを承知の上で、嫌味で発言したのではないですかと。
先生は困惑しながらも、誰がどこの席にいるかも把握していなく、本当に知らなかったと弁明した。
私は続いて質問した。男子生徒の名前を教えて欲しいと。
S君と知ったので、場合によっては直接呼び出して詰問するが、よろしいですね、と迫るがそれは困るので、とにかく担任の先生、校長と話をするのでまでは動かないで欲しいと言われた。
その後、校長室から美術の先生から連絡があり、翌日S君に事情を聞いた上で、担任の先生から連絡をするとの事だった。
結論はS君も知らずに言ってしまい、反省しているという。
まぁ、知らぬ存ぜぬで通す構えなのか、本当に知らなかったかは、当人達でしか解らないし、
また、その事を突き詰めても、原因は彼女本人だと理解しているので、手仕舞いにした。
月末に担任の先生が自宅に来るので、そこでじっくり話をしてみたい。
私の個人的な意見は学校に行く必要はないと思っている。
もう耐えられないと彼女が発した言葉は様々な意味を見て取れる。
よくぞ、今までつまらない学校に行っていたのが、私は正直不思議だった。
友達もいない、休み時間は机に伏せて誰とも接しない学校生活が楽しいはずがないからだ。
全ての原因は本人が発しているのだから、今回の出来事だって必然なのだと思う。
だが、そこの壁を越えない限り次はないと思っている。
それが、学校生活で叶える事は今は出来そうにない。
本人は頑として登校拒否をしているので、いくら妻が声高々に言っても効き目がない。
私はむしろ、行かなくていいと言っている。
堂々と行かない選択をして、次を考えながら期を見るしかないと思っている。
我が家の恥をさらすようだが、4人の子供のうち3人が中卒になってしまいそうである。
あるお笑い芸人が、うちは子供が4人いて大学を卒業させるまでに、相当な学費やらを要する事になるので、大変ですと言っていた。
それに比べると我が家は、言わずもがなである。
ラスベガスコンベンション
ラスベガスで毎年行われるセルフストレージのコンベンションに参加をした。
全米ストレージ協会SSA主催のイベントは世界各国からストレージ企業がラスベガスに集結する。
私を含む日本JSSAの理事で構成するメンバーが参加するのは今回で3回目だ。
朝7時からJSSAとSSAの幹部ミィーティングがスタートする。
概ね、SSA側がアメリカのストレージマーケットの現状と課題をシェアする。
その後JSSAのメンバーから質問を受ける形式で進行されるのだが、先方が現状の話をしている途中に我々がバンバン質問してしまうのだ。
特にJSSAの理事長を先頭に朝からハイテンションで、質問の連鎖に通訳はてんてこ舞い、おまけに一人がメモを取っていると私を含めた理事が浴びせ倒すように質問する展開になる。
これでもか、これでもか、という質問に対して先方は悪い気がしていないらしい。
むしろ、そのような姿勢を歓迎する風潮があるようだ。
但し、彼らのスケジュールもタイトなので時間になると途中であっても退席する。
質問に対する返答に、更なる質問が重なる展開に、つい先方との時間を忘れてしまうほどだ。
その成果もあり、収穫は大きく三つあった。
一つは全米のマーケットは現状良好で拡大基調にあるということ。特にニューヨークでの
出店が大手を中心に相次いでいるという。
二つ目はテクノロジーによるオペレーションシステムの仕組化にある。
素晴らしいシステムになっているので驚愕してしまった。
まるで日本は戦前期ほどの時代遅れの印象があった。
三つ目はデータの共有と活用の構築にある。
ストレージ企業各社が顧客データを共有しているのだ。
これも驚きと共に日本のストレージを産業として発展するためには必定と感じた。
JSSAとしても明確な課題を収穫できて協会、または各企業としても新たな取り組みに挑戦する目標を得ることができた、充実したコンベンションであった。
また、滞在期間中に改めて感じたことは物価が高いこと、酷暑で空気が異常に乾燥しているので唇が直ぐカサカサになってしまう。
コンビニやドラッグストアなどは近くに無くてとても不便である。
朝食は平気で2000円する。トースト、目玉焼き、ベーコン、フライドポテト、定番のアメリカン朝食メニューで、しかもコーヒーは別勘定なのだ。
日本のファミリーレストランだと400円位だから実に6倍の値である。
おまけに消費税の他にチップが15%から20%かかるので、初日に朝食をした時の勘定
が3000円位だったのでびっくりした。
観光で数日間の滞在ならまだしも、とてもこのエリアでの生活は一般的には困難を極める。
また、酷暑のうえ空気が乾燥しているので肌が直ぐカサカサになる。
散策するには日差しが強すぎるし、ホテルに入るとエアコンがビンビンに効いているので寒すぎる。まるで火星で暮らしているような感じである。
コンベンションがなかったら絶対にプライベートでは来ないだろう。
来年も来ることになると思うが、ハワイ経由でのラスベガス入りを考えている。
変わり者
最近変わってる人だなと思った人が現れた。
会社経営者S氏との初対面の時である。
自著にCDがついている本を差し出してくれ、自己紹介のような経歴話しを聞かせてくれた。
そして、新しいビジネスプロジェクトのプレゼンを受けた。
第一印象はオタクだった。
ビジネスマンの感じよりは何かを極めている萌系オタクの印象だった。
しかし、プレゼンを聞いていると構想力、ビジョン、数字が明快でしっかりして、自信に満ち溢れた在り方だった。
頭が良い仕事の出来る方だと思った。
しかし、二回目に天然村でお会いした時には第一印象のオタクが如実に表れていた。
一つ目は資料を見始める時の目つきである。
何とも言えない完全にイっちゃってる目になっているのだ。
思わず吹き出してしまう有り様で楽しませてくれた。
二つ目は一緒に食事をしている時に年齢を聞いてみると私と同年代だった。
そして、結婚しているかと聞くと、18歳年下の彼女と新婚だと言う。
初婚なのかと聞くとそうだと言うので驚いた。
私は矢継ぎ早にどこで知り合ったかと聞いた。
インターネットだと言う。
それはもしかすると出会い系サイトですかと質問すると、2000%そうだと断言していた。
その瞬間、テーブルにいた全員が大笑いである。
確かに彼からもらったCDは彼がシンガーソングライターの作品であった。
歌は下手なのだが、歌詞とメロディは個人的には気に入っている。
しかし、そもそも初対面の人に自著プラスCDを渡してアピールするのも、どんなものかと言う意見もある。
まぁ、そんなS氏は確かに変わり者である。
紹介者にはS氏も変わり者だが、私も変わり者だからね、と言われてビックリした。
私の変わり者としての理解は、一般的に非常識的と感じる様子がしばしば見られる事だと。
自分では無意識、無自覚なのだが、周りの人達からは時折耳にする。
もしかすると私もS氏のような変わり者なのか、、
だとすると、どんな場面がS氏のそれと同じなのかを周りの皆からヒアリングする必要がある。
しかし、ある種の特性みたいなものだから、治るものではないかも知れない。
もしかすると、変わり者は一生変わり者として生涯を遂げるのか。
S氏を見ていると、とてもそれが変わるとは思えないからだ。
自分に置き換えても同じ事が言えるとしたら、自覚を急がなくてはならない。
自分観察
アフリカケープタウンへ旅立つこと約二ヶ月、長男が黒人に襲われたとの一報が届いた。
本人に怪我はないらしいが、携帯電話と現金を脅し取られたようだ。
本人からの連絡手段は唯一パソコンが残っていた。
携帯だとLINEで簡単に連絡が取れていたが、パソコンからFacebookで連絡がついたのだ。
通信手段が格段に便利になったのは言うまでもないが、本人に取っては心強いツールとして今後もコミニケーションに役立つのは、本当にありがたい存在だろう。
しかし、貴重な現金を失ったのはショックであったが、予め準備していたのが幸いした。
現金を幾つかに分けていたので、全額パーにならなかったのが良かった。
そして、言葉が話せないのが非常に大きな壁を感じているようで、コミニケーションに大変苦労していると言っていた。
また、エボラ感染が大々的に報道されているので、聞いてみたが南部の方はそれ程でもないそうである。
私は彼へメッセンジャーから発信した。
逆境こそチャンスである、チャンスは様々なところにある、常に目を開いている必要があると。そして、自分次第で壁は突破出来るから、環境を言い訳にせずに乗り切って欲しい。
親としては当然心配ではあるが、自分が選択した道には当然困難はつきもの。それをいちいち危ないから帰国した方がいいとか、お金を送金しようとかしたら、本人の為にならないと思っている。
故に、あえて突き放すような言い回しにしているのだ。
ここは相撲で例えるならば、徳俵に足がかかった格好だが、何とか踏ん張って土俵を割らずに乗り切って欲しい。
一方で、中学二年生になる末っ子の娘は夏休みというのに、どこにも行かずに家の中でずっと携帯で遊んでいる。友達がいないので、どこか遊びに行くような事はしないのだ。
内向き思考なのが、私を心配かつ切ない気持ちにさせている。
携帯の遊びは、今若者の間で流行っているツイキャスだ。
仮装現実のコミニケーションに偏っているのだ。
夏休みの勉強ほったらかしで、毎日夜中まで夢中になってやっている。
私が注意を促すも全くもって効き目がない。
彼女を特別に育ててしまった私に原因するだろう。
末っ子ならではの甘やかしが要因している。
ある日、セブンイレブンに買い物に行くと言って2時間近く帰って来ない事があった。
昼間とはいえ、1時間を過ぎたあたりから遅いなと気になり始めた。
それから、30分程経つ頃になるとソワソワしてきて妄想する始末。
おまけに、誘拐されたらどんな手を打てばいいかと、警察から身代金の事まで頭をよぎってしまった。
何の事はない、TSUTAYAに寄って2時間後に帰宅した。
よく観察してみるとアフリカで窃盗事件があった長男の方が、遥かに心配に値する出来事で、たかだかセブンイレブンへ買い物に行って2時間帰らないからと、変な妄想して心配している自分はいったい何なのだろうか。
相撲で例えるならば、徳俵から足が完全に出てしまった状態だろう。
自問自答してみたが結論は単純で、長男を大人として扱っているのに比べて、末っ子の娘はまだ小学生に入ったばかりの頃の子供として扱っているのが見てとれた。
また、本質論として末っ子は可愛くて甘やかす傾向があること。
しかし、どちらにとって本人の為になるかは明らかである。
だが、なかなかその壁が越えられない。
メッセンジャーで長男に向けた言葉はまさに自分の事であった…(苦笑)
高校野球
今年のお盆休みは甲子園の高校野球をテレビ観戦する機会が多かった。
毎年そんなに関心はなかったが、今年の休みは自宅でゆっくりしていたので、甲子園を見始めると面白くて、いつの間にか夢中になってしまった。
それと同時に昔を思い出していた。
今から32年程前に甲子園を夢見て毎日練習していた少年の頃を。
しかし、高校三年間に良い思い出はあまりなかった。
とにかく野球に占める時間が圧倒的だった。
夏休みとか長期間休みになると、練習する時間が長くなるので憂鬱だった。
普段の日は朝練で朝5時起き、夜は遅くまで練習に明け暮れる毎日だった。
おまけに、上下関係は厳しく先輩と同じ電車に乗るのが禁止になっていて、あえて次の電車を待つ場面も多々あった。
ある日、先輩と同じ電車に乗ってるのがばれて、次の日に袋叩きになった事もある。
しかし、同年代ではこのような上下関係が厳しい事は当たり前だった。
今でこそ俯瞰して見る事が出来て色んな要素が見出せるが、あの頃は全くもって駄目な在り方だった。
練習の為の練習に明け暮れる毎日で、創造性とかゲームの流れや、チームの強み、各自の得意分野、戦略、戦術などは共有することもなく、私自身も空っぽだった。
二年生になった頃、バッティングが思うようにならなくて、右から左打ちに変えた事があった。
誰から言われたのでなく、自分なりの決断だった。
右打ちに見切りをつけ、左打ちに挑戦した理由は自分の得意分野を生かす事にあった。
私の得意分野は足だった。
50m、5秒台の俊足を生かす為により有利に働く為の左打ちの選択だった。
結果としては失敗に終わった。
今思うとコンテクストが決定的だった。
技術的な事よりも、器、当時の自分のそれが、あまりにもミクロだった。
甲子園をテレビで見ていると、それらの要素が見て取れる。
ゲームを楽しんでいて、一年生ピッチャーは先輩のキャッチャーのサインに堂々と首を振り、バッティングでも、同点打や逆転打を放つなど、チームとした組織になった戦いをしているようである。
ハイスコアの大逆転試合などがあったりと、プロ野球ではありえない醍醐味がある。
勝利が監督に占める割合が非常に大きいのも高校野球の特徴である。
負けていても、勝ちの雰囲気を創り上げる、流れを引きつける采配は勿論、自分自身のコンテクストが決定的なのだろう。
熊本の城北高校監督を観察していると、終盤の逆転劇を演じる流れを創ったのは、まさに決定的だった。
ツーリング
その日は、中途半端な気持ちで海老名SAに向かっていた。
一旦、現地集合してから天候の状況を見て決行するか判断する事になっていた。
二年ぶりのツーリングである。
現地に早朝6:30に集合してから富士山周辺を走るプランだった。
台風の影響で悪天候が予想されていたので、私は雨中でバイクを乗る気になれず、気持ちは全くのっていなかった。
むしろ、行かない選択もありと思っていた。
しかし、二年ぶりに再会するM氏もいるし、親しい友人も一緒なので、とにかく海老名まで行って、引き返してもいい感じで向かったのだった。
本来はツーリング向けにGSX1300隼を乗るつもりだったが、今回は引き返すつもりだったので実用性の低いカスタマイズしたハーレーを選択した。
タイヤがかなり太いため、峠道には不向きで街乗りにはマイペースに快適な走りを楽しめるバイクにしたのだ。
しかし、奇跡的に雨が少し降る程度で、結果的には快適なツーリングを楽しむ環境になったのだ。私のバイクの選択以外は…
海老名に到着すると、ツーリングの企画や、ルールの策定を担ってくれたリーダー役のM氏がいらした。
ライダースーツ姿が似合っていて、二年ぶりの再会に思わず笑顔がこぼれた。
一方で私は半袖にジーパン姿と、全くもってライダーらしからぬ出で立ちである。
友人2人も私同様で、他の人が見たらライダーはM氏ただ一人になるだろう。
海老名での話はM氏が企画したプランを決行する事になった。
M氏のやる気が自動的にプランを実行するようになったのだ。
私もこうなったら、やるしかないと決め込んで気持ちを完全に切り替えた。
どんなに雨が降ろうと風が強くなろうと、全走行距離300キロの道のりは気合いだけで乗り切るしかない、ハーレーで来てしまったからにはそれしかない。
しかし、奇跡が起こったのだ。
午前中はともかく、午後は確実に雨中走行になるのは確実、カッパを用意していない私はびしょ濡れ覚悟だった。
ところが、富士山周辺を走っている時から風を切る心地良さで感激し、おまけにここ連日の猛暑から一転して肌寒い位の気候だったので、ツーリングには絶好の環境だった。
結局、帰りの海老名に到着する19時まで、少し降った程度だった。
強烈な晴れ男F氏のおかげである。
彼曰く、何か遠出する時に雨が降った覚えがないという、抜群な晴れ男なのだ。
しかし、往きは良かったが、帰り道になると疲労が徐々に出始めて、休憩も頻繁にとるようになった。
途中、眠さが襲ってきたり、峠のカーブでは太いタイヤだとこの上ない曲がりにくいので、物凄く力が入り、おまけに路面が濡れていて滑りやすく、何度も滑りながら反対車線を超えそうになったりと、心身ともに疲労困ぱいの状況が続いた。
休憩地点は主にコンビニで、他のみんなはタバコを一服する。
それと、意外な発見があった。
みんなコンビニで色んなものを買うのだ。
例えば、タバコ、ガム、缶コーヒーや各種エナジードリンク、フリスク、爽快シートなる身体を拭くとスッキリするお手拭きみたいなやつなどなど、まぁ、よく買うなぁと観察していた。
コンビニも儲かるはずである。無くても困らないが、あったら確かに便利な品なのだろう。
私の場合は100円コーヒーかヨーグルトしか買わないので少し驚きだった。
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