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家庭教師
家庭教師をつけて欲しい。
一番下の中学3年生の娘から言われた。
彼女は中学2年の1年間は不登校でほとんど勉強せずに自宅に引きこもっていた。
その彼女が今年の4月から通学するようになった。
きっかけは長女の影響が大きい。
2人はとても仲良く彼女はお姉ちゃんを慕っている。
長女のアドバイスもあり区切りのよい新学期から通学を始めた。
そして、高校進学をするにあたり自分なりに勉強をしなくてはならないと真剣に考えているのだろう。
私は家庭教師の依頼を承諾したが、すぐには動かなかった。
彼女が自主的に勉強を始めているかを確かめたかったからだ。
しかし、テレビを見たり携帯をいじったりで相変わらず勉強している様子はなかった。
家庭教師をつけてから勉強するのでは、順序が違うと思った私は躊躇があった。
何人かの友人に相談してみると、勉強のやり方がわからないから仕方がないとの意見だった。
家庭教師をつけてから勉強のやり方を学ぶのはベストだと言う。
そんな見方もあるかと思い家庭教師の会社に連絡して、体験レッスンの申し込みをした。
来た先生は20代前半のイケメン君だった。
先生から質問があった。
どのくらいの成績なのか、不登校の影響もあり200人中190番くらいだと彼女が答えた。
そして、中学1年の時には私が彼女の宿題を変わりにやってあげてたのだ。
最初は勉強が嫌いな彼女に私が勉強を教えていたのだが、なかなか教えるのも下手だし、彼女
の掴みも悪かったので、まったく前進しない始末だった。
そうこうしてる間に彼女が愚図り始めて、喧嘩になったりしたので、だったら面倒くさいから私が全部やった方が良いと判断したのだ。
私の字で書いているので先生にはばれていたことだろう。
このような実情も家庭教師の先生に話した。
イケメン君は苦虫を潰したような顔をしていたが、切り替えたのか勉強のやり方を教えたいと言い出した。
まずは、教科書を中心に中学1年から始めようと。
ポイントを押さえる、パターンを知る、繰り返し毎日勉強する、この三つをしっかり習得出来ればビリギャルのようになるのも夢でははないと言う。
決めゼリフとも捉えられるが、確かに勉強のやり方をものにするば200人中120番位までは上がるかも知れないと思った。
下から10番なんだから上がるしかないわけだし本人の努力次第で可能性がまだあると思った。
担任の先生はそんな可能性からの発想はしないだろう。
以前伺った時も選ぶ学校は限られるだろうと言われた。
前例がないからと、不登校からの進学を困難から発想しているからだ。
私はさすが商売にしているだけあると思った。
結果はわからないが、彼女次第でまだ間に合うように思う。
子供の教育には全くの無関心だった私にも責任がある。
しかし、今回は彼女から学びたいと訴えてきた。
このタイミングでサポートしないわけにはいかない。
彼女はイケメン君を担当にしたかったようだが、彼は体験レッスン専任担当らしいので、望は叶わなかった。
これからの彼女の発展を見守って行きたい。
弟とナマズ
グランドハイアット東京で車の充電をしながら考えていた。
今日、千葉の茂原に行って帰るまでの距離と充電量を計算していた。
満タンなら往復しても全く支障はないが、時間がなかったので10分ほど充電して4分の3まで完了して出発した。
出口のバレースタッフに軽く会釈をしたが、何の応答もなかった。
恐らく、充電だけの利用だと料金が発生しないためか、無愛想な対応を受ける印象がしばしばある。
一方で、丸の内パレスホテルの場合はバレースタッフが充電を代行してくれる気の遣いようで、同じホテルでもこうも違うものかと感じてしまう。
六本木から中目黒で弟をピックアップして千葉へ向かった。
彼は恵比寿で鮨 早川を営む料理職人である。
私が今回、彼に依頼した事は、ナマズをはざいてもらうこと。
何故、ナマズなのか頼んだ時、彼は不思議に思ったらしい。
彼の中ではナマズなるものを食することはありえないと言っていた。
私は普通に食べるものと思っていた。
鰻屋ではナマズの天ぷらを食べたことがあった。
川魚料理では、鯉や鰻と一緒にナマズも登場する。
会社の開発中プロジェクトでアクアポニックスに取り組んでいるが、野菜と一緒に魚を育てるシステムで開発に成功したM氏とナマズの試食会をするために、料理人が必要になったのだ。
予め弟には料理道具を準備してもらった。
有次の包丁がキラリと光っていた。
天ぷらと蒲焼きのメニューで食べ比べてみたが、天ぷらが断然に美味かった。
ナマズの天ぷらがこんなにも美味しいものとは思わなかったと、全員口を揃えて言っていた。
特に皮つきの方が食感がよくて、皆んなに大好評だった。
弟は既成概念から想像もしなかった美味さに一人唸っていたほどだ。
身もすごくきれいで、イサキの刺身と間違うかのようだった。
小骨もまったくなく、調理の手間いらずで、慣れたら簡単にさばけるようだ。
これで、一つの目処がたった。
ナマズはつかえる。
次回は野菜とナマズの天丼でも作ってもらおうか。
弟は試食をしながら、5時から始まるサザンのコンサートを気にしていた。
東京ドームへ時間に間に合うには3時までに出発しなければならない。
私は彼のそわそわしている姿を横目にじっくりとM夫人の手料理を味わっていた。
その料理が抜群に美味かったので、そちらの方が優先順位が高くなっていたのだ。
あとは、少し意地悪したい気持ちになっていた。
そわそわしている姿を意識して見ていると、ちょっと面白いからだ。
さすがに時間が迫り、弟が私に合図をしてきた。
これ以上は意地悪の領域を超えてしまうので、手仕舞いにして帰る準備をした。
帰りの車中では、世間話に花が咲き楽しい一時を過ごした。
料理教室
マクロビ料理の教室に友人から招待された。
そこには女性が8人、男性は私1人だけであった。
講師のO先生に挨拶をした。
初対面である彼女は私より一回り以上歳上の知識人であった。
彼女と話しをしていると、何と共通人物が次々と登場してくるのでびっくりした。
彼女のお弟子さんが天然村でマクロビの料理教室をやったことがあった。
おまけに、彼女の友人が天然村醤油作りのサポートにきてくれた人物だった。
まだまだ、出てきて何かオーガニックなカテゴリーの分野では、相当な権威を持った方だったのだ。
今回の料理はマクロビ、いわゆる雑穀料理だったので、私は何の興味もなかった。
何故参加したかと言えば、実は自分でもよくわからないのだ。
強いて言えば、ただの料理を教える機会ではなく、違う領域を学べる感みたいなものが働いたから。
それぐらいの動機だった。
今回のテーマは玄米と味噌汁。
その徹底したプロセスに圧倒されてしまった。
玄米を水でとぐのだか、普通はなにげに水道の水でシャキシャキやると思われるが、ここではミネラル水でシャキッとやるのだ。
まず、2ℓのやつがなくなる。
先生曰く、水道水に含まれるカルキや別な要素が米を台無しにするそうだ。
味噌汁のプロセスも通常の何倍も手間をかける。
出汁の作り方、玉ねぎの切り方、味噌を入れるタイミング、実に理にかなっていた。
料理をしながら話を聞いていると、雑穀料理の代表たる玄米と味噌汁は日本人のDNAに残っている大事な栄養素を摂取できる食べ物だということ。
私はグリーンスムージー派になっていたが、味噌汁派に転向しようと決意した瞬間だった。
確か、九州の学校の校長先生が学校改革の成功をして全国各地を講演していた時に、聞く機会があり、改革の肝は朝飯だと豪語していたのを思い出した。
しかも、具だくさんの味噌汁こそ、学校には必要だと説いていた。
昨今、若者がコンビニ中心の食文化になっていることに警笛を鳴らしている。
私は便秘症で「惚れ惚れうんこの素」が手放さないでいるが、この料理教室の翌日には何と見たこともない痛快な排泄が出来た事に驚愕してしまった。
恐るべし、日本人のDNAに刻まれた味噌汁と玄米。
私も身体をトランジションするタイミングのようである。
ルーシー
「ルーシー」至急見た方がいい。
友人からオススメ映画のリクエストがあった。
私がその理由を聞くと、三次元と四次元の世界が明確に理解できる内容だという。
最初のシーンは任侠映画でも始まるのかと思ったが、韓国マフィアが新薬を悪用するシナリオになっていた。
主演はルーシーを演じるスカーレット・ヨハンソン。
彼女が四次元の世界を描写している。
それは、目には見えない世界。
人は脳の10%程度しか使い切れていないという。
イルカが20%ともいわれている。
映画では、ルーシーが脳を30%、50%、と徐々に上げていき最終的には100%を使いこなすようになる。
それを段階的に能力を進化させ、意識するだけで脳に伝達され現象として現れる、見事に描写している。
人の脳はたかだか1割の世界しか知らないに過ぎない事になる。
残りの9割は知らない世界である。
イルカは20%に達しているのでテレパシーが可能になっているそうだ。
あの、伝書鳩だって途方もない距離を確実に用事を足すところからも、イルカと同類の能力を有することになる。
私は世の中にはまだ見えない9割が存在していると信じている。
それは、暮らし方によって徐々に脳の能力が開発されていくのではないかと思う。
では、ルーシーが30%とか50%に脳が発達するとどうなるか。
もはや、相手の思考が読み取れ、何処にいてどんな行動に移るかもわかってくる。
身体の状態がどうなっているのか見えて、病気の対処方まで簡単に出来たり、傷も簡単に再生されたりする。
病気になったりすることはなく、そして少々の怪我や弾丸が当たっても平気になる。
テレポーテーションも自由に距離に関係なく移動できる。
おまけに時代だってタイムマシンのように古代から江戸、明治時代まで行けたりする。
これは60%を超える世界で可能になってくる。
もはや、おとぎ話の世界である。
そして、最終的な100%になると消えてしまう。
これは映画ならではの描写だと思うが。
しかし、四次元の世界を考えてみると、あながち間違っているとは思えない。
太古の日本、2万年前では日本人の前にカタカムナ人が暮らしていたそうである。
現在のカタカナの原型になっている文字が書籍で見てとれる。
彼らは脳をほぼ100%使っていたそうだ。
もしかしたら、彼らはルーシーのようになっていたかも知れない。
それはともかく、四次元の世界で暮らしていたと考えると、現代はずいぶん不自由になっているようだ。
友人はこの勘所を掴んで欲しかったのだろう。
シンプルな構造の世の中で必要なものは交換しあったり、安全で安心な食べ物は不自由しない暮らし。
こんなロハスな世界も間近に迫っているかも知れない。
長く続ける
30年経つと99.98%が消える。
会社の生存率である。
100社あっても全て消える。
1000社あっても全て消え、1万社の中で2社だけ残る計算になる。
そもそも、5年で85%の会社が消える統計から考えると、会社の寿命はそう長くはない。
先週、縁あって創業40年の会社のトップと面談する機会があった。
K氏は大手メーカー勤務を経て独立してから40年になる。
数々の特許を保有する技術屋で、ヒートポンプ、ろ過装置といった産業用の機械メーカーだ。
本社が近所という事もあり、K氏から一度遊びにおいでとのお誘いがあった。
先方の本社に到着すると、建物が船の形をしていた。
何だろうと思いつつも受付に入った。
受付というよりは自宅の玄関のようだった。
スリッパに履きかえて階段で4階まで案内されると、奥に和室がありそこへ通された。
まるで、個性溢れる建物で発想が一般的でない、おまけにエレベーターがなく4階まで階段で登ったかと思うと和室で初対面するとは、なかなかユニークだと思った。
K氏を一目見て技術屋でありながらも営業力のある御仁とみた。
目に力があり、よく話される方だった。
そして、優しさも会話の随所に感じられ、ご自身の使命も明確に言葉として表現していた。
また、技術に関しては誰にも負けない自信をお持ちで、これから始まるプロジェクトの話を熱く語っておられた。
この技術を使って地方から日本を元気にするんだ。
私に声をかけていただいたのも、事前にイコムのwebをご覧になって共時性が起こったのだと思った。
K氏は研究開発は15年を要すると言い切る。
様々な試行錯誤を経て世に出る商品になるまでは、10年やそこらではまだまだ道半ば、15年経って初めて本物と言える商品になると。
40年やっているK氏があっさり言うものだから、私は驚愕したのと同時に一方の思考では、そんなに呑気にやってたら消えちまうだろうと思った。
何故なら5年で85%の会社が消えるのだから、商品開発に15年もやってたら生存する方が奇跡に過ぎない。
明日の飯に困っている人が聞いたら漫画の世界だと聞き取れないだろう。
しかし、K氏は利益の3分の1は商品開発に回して、常に試行錯誤を繰り返しながらコツコツ、続ける、諦めない、をずっと40年も実践してきたのだから、本当に素晴らしいと尊敬の念を持った。
天然村事業を考えてみても、まだたかだか5年そこそこである。
あと、10年は試行錯誤しなければと考えると私も60になってしまう。
もはや、これから始まる人生の第4ステージも10年、15年、20年のタームで考えないとならない。
春の野草と社交ダンス
それは2つの体験を通じて感じた事だった。
春の野草散策と社交ダンスを初めて体験した事で知ることになった。
無意識な為に見過ごしていたり、無関心な為に知らなかった分野を体験する事で新しい発見があったりすると、自分になかった世界観が広がるような感覚がある。
天然村イベントで野草の摘み取りが行われた。
それを天ぷらにしたり、ぬたや胡麻和え、しょうゆ漬けと昔から伝わる料理を地元の得意技人が振る舞う。
都市から来た人や近所の人達が集まり、体験を通じて合流する場としてのコミニティが形成される。
野草の専門化T氏のレクチャーで天然村を散策しながら、食べられる野草とそうでない野草の見分け方、雄と雌の違いや外来種など説明を受けながら歩いていると、おおよそ畳一枚分の大きさに20種類程の野草があることに気付かされた。
また、天然村全体でも100種類以上の野草がある事がわかった。
今まで全く無意識で、その存在事態すら気付かずに見過ごしていた。
この初春のわずか1ヶ月しかお目にかかる事のない野草は本当に希少である。
そして、料理にすると抜群に美味い。
今まで本当にもったいないことをしたものと反省している。
フキ、ヨモギ、タンポポ、ウド、ドクダミなどなど、旬の野草を摘み取って食べる贅沢は六本木や銀座の名店といえど味わうことは叶わない。
素晴らしい体験が出来た事で次回からは出来るだけたくさんの方々に体験していただきたいと思った。
イベントを終えた私は四谷にあるダンスホールへと車を走らせた。
まさか社交ダンスをやることになるとは、しかも50になって始めるとは、もはや漫画の世界である。
先ずは先生から社交ダンスの肝を教わる。
男性は女性を綺麗に見せる。
そして、安全にリードする。
ダンスを通じて男女の恋の駆け引きを演じる。
ワルツ、タンゴ、チャチャチャ、これらのステップや身体の表現をレクチャーしてもらい、実際に女性と演技をすることになった。
何が何だかわからない中で夢中になってステップを踏むも、頭で覚えるのとステップがちくはぐになり、相手の女性の足を踏む始末。おまけにステップが相手と合わずにラジオ体操と間違えるような醜態をさらしてしまった。
まぁ、初体験なので仕方がないと言えばそうだが、音楽に合わせて華麗な演技で男女の恋の駆け引きを身体全体で表現できるまでには、火星に行き着くほど困難な道のりになりそうである。
しかし、この分野を初めて体験する事は、これから始まる人生の第四ステージで不可欠な要素になるものを会得するようになる気がしている。
出を少なくする
プラスとマイナス
今年6月に挙式をする我が社の女性社員Sの家族を交えて会食をした。
Sのご両親は明るく気さくで親しみやすい方だった。
一方でSのご主人であるK氏とは何度か酒の席を共にした事があった。
真面目でIQの高い論理的な人物の印象があった。
私を交えて5人で話をするうちにK氏の話題になった。
どちらかと言うとK氏1人に対してS陣営が4人いる中で真面目なK氏は居心地は良いとはいえない状況にあった。
酒が進むうちにK氏の話題に花が咲き始めた。
職場の話になり上司との関係や仕事の内容にネガティヴになっていた。
私たちは自分たちの意見をK氏に伝えた。
我慢をして自分の感情を抑える傾向が強いためストレス体質になっているのだ。
Sとの関係だって新婚にも関わらず本音のコミニケーションが行き届いていない。
ご両親もそこは気になっているようだ。
終盤になったころ、SとKは本音トークになっていた。
お互いコミニケーションの課題が明確になり、Sも両親への昔寂しい想いをした時の事を涙しながら本音をさらけ出す場面もあった。
それはそれで良かったと思うが、誰にもプラスがあれば同じだけマイナスがあるものだ。
SとKはコミニケーションはマイナスだが、忍耐力、継続力、信頼性などはプラスとして素晴らしい素材がある。
私もコミニケーションはマイナスだが、プラスだってちゃんとにある。
親友のMは逆にコミニケーションはプラスだが、経済性はマイナスだったり、奥さんはその逆でコミニケーションはマイナスで倹約性はプラスとしてあったり、それぞれ各人プラスとマイナスがきちんと配列されている。
我が社の社員たちも個性豊かな人物が多いが、プラスもあるし同じだけマイナスが存在する。
肝はマイナスを駄目としない事である。
プラスに光をあて、そこを伸ばして個を発展していく。
逆にマイナスは包含すればいい。
顕著なのはとくに夫婦で全く違う対極な性質が不思議とペアになる。
通常、夫婦は真逆で自然と足りないところを補うようになっている。
そんな観点からするとSとKは似た者同士の印象がある。
少し気になる。
強気と弱気
花見で賑わっている檜町公園を歩いて六本木泉ガーデンに着いた。
暖かく風もない素晴らしい天候に恵まれて結婚式が行われた。
当社の女子社員Tらしく、都心にて屋外での挙式は従来の発想にないもので、ナチュナルでセンスのある企画であった。
また、披露宴会場もレストランを上手く利用した南国風の雰囲気を演出した、形式にとらわれないものだった。
私は乾杯の発声と祝辞を述べた。
新郎とは初対面だったが、Tとは正反対の性格のようで不思議と夫婦は自然に自分とは間逆のタイプを選択しているようだ。
それを象徴するエピソードを交えて話をした。
彼女が当時私に話しをしてくれた内容が今でも印象に残っている。
Tは30歳になるが、昨年の誕生日を迎える前に一歳年下の新郎に一石を投じた。
付き合っている仲で30歳という女性にとっては非常にデリケートなラインである。
結婚の約束までは無くとも、何かそれを互いに意識する言葉が全くないままにラインを超える事に納得がいかないTは王手飛車とりの手を打ったのだ。
私はあなたが結婚を前提とした付き合いでなければ、自分自身の道を行くのであなたの気持ちをハッキリ聞きたいと迫って動いた。
強気と弱気が交錯する株式相場に例えるならば、強気相場の時は誰でも買いやすく心理的にもイケイケの状態であるが、弱気相場に転じると売りが売りを呼んで棒下げ状態になり、買い手がいなくなる。
この時が本当の買い場になるのだが、弱気相場の時に自分が強気で望めるか、逆に言えば強気相場では売りを、弱気相場では買いを出せるかが肝になる。
これと同じ心理がTにも当てはまる。
彼女はいうなれば30歳になると弱気相場になり心理的にはなかなか強気に出れない場面であるが、そこを突破して一石を投じた価値は高いと見る。
仕事の交渉でも同じだか、弱気相場の時にここ一番の強気の一手が打てるかどうかでその後の戦況は違ってくる。
私がスピーチをして新郎がどんな気持ちになったかは定かでないが、飛車を失ってからは新婦のペースで事が運び詰んで投了になったのだろう。
さすがにそこまでは話をしなかったが、ここ一番での押しの強さが決定的になった事は間違いない。
マイホーム
17年前のお客様より会社へ連絡があった。
受付したスタッフより先方から連絡する旨承っていたが、連絡先を聞いていたので私から連絡してみた。
Nさまとは、当時売り建て方式で土地を購入してもらった後に、建物を新築するという建て売りの逆バージョンだった。
当時で土地と建物を合わせて7000万円を超えていた。
開発現場としての面積はかなり大規模区画になっていて、プロジェクトとして売主2社、建築請負業者、建築設計会社、販売会社が数社関わっていた。
当時は売買仲介を主力業務としていて、Nさまの他に2名のお客様の販売を仲介した。
Nさまに電話をすると最近は目の調子が悪く外出も大変なので、自宅に来て欲しいと言われてNさまのお宅に伺った。
ご夫婦とも17年ぶりにお会いした。
お二人とも70歳を過ぎていたが、声のトーンや雰囲気は当時のままの印象だった。
ご主人が当時の不動産取引に関わるファイルを持ってきて、気にかかっていた事を幾つか質問された。
ご自身亡き後の事を心配され、権利証や領収書、謄本など必要な書類と印紙関係を確認して次の世代の為に遺品整理をしているのだ。
私の役目は書類が正しく整っているか、この一点だけである。
Nさまは几帳面な方なので、書類関係は当時のまましっかりと保管してあった。
契約書関係の書類は当時私が書いたもので、あまりにも簡素な書式だったので、とても7000万円の買い物をしたとは思えない痕跡が残っていた。
やはり、私はこのような仲介業務は向いていなかったのだろう。
まさにこの翌年には仲介業を捨てる決断をして、大家業の道へと進む第一歩を踏み出した年になるからだ。
この決断がなかったら今のイコムは存在していないだろう。
現に当時のプロジェクトに関わった会社は全て消滅し、今は世の中に存在していないのだ。
Nさんには申し訳なかったが、捨てた時から全く連絡しないで今日まで来てしまった。おまけに売主も建築会社も潰れてなくなり保証も何もあったものではない。
時代は変わって土地も下がり続け、Nさまの土地価格も当時から比較すると半値近くになってしまった。
しかし、Nさんご夫婦は大変条件の良い土地を紹介いただいて満足していると17年経った今でも言ってくれる。
マイホームを一生懸命働いて購入し、自分の城としてのステータスを確立したNさま。
退職金で住宅ローンを全て返済した。
17年ぶりに遺品整理のために呼ばれた私はNさまを見ているとマイホームとは何と無情なものなのかと感じてしまう。
マイホームに生涯働いた賃金の大半を費やし、遺品整理にまで気を配るマイホーム。
残された家族にとってマイホームはどんな意味を持つのだろうか。
子供にとってはもっと駅の近くで便利なマンションの方が住みやすくなるかも知れない。
あるいは、グローバルな時代になったので海外に転勤になることだってありえる。
今、社会問題になっている空き家だって、かつてはNさまのような履歴があったかも知れない。
そう考えるとマイホームを購入する選択は見つかりそうにない。
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