社長ブログカテゴリー記事の一覧です
セカンドオピニオン
かれこれ2年ほど通っている歯医者がある。
ゆっくりしたペースでゴールまでの日程プランが掴めないため、悶々としていたところに友人から紹介してもらった歯医者に行く事になった。
いわゆるセカンドオピニオンである。
友人からは腕は一流だが、よく話す先生で1時間半は見ていた方がよいと言われていた。
1人で診察から治療、会計までやっているので途中に電話があったりすると中断する事がままあると聞いていた。
先ずは歯の状態を見ながら左右のバランスが崩れている説明をしてくれた。
レントゲンを撮ってから更に説明をしてくれたが、案の定その間に電話が入った。
直後に来客があり接客が終わるまで、レントゲンの画面を見ながら待つこと20分ほどで戻ってきた。
その後も説明を聞いていたが、だんだん眠くなってきて何を言っているのか聞こえなくなってきた。
眠気を絶つためにこちらから質問をすると、更に詳しく説明してくれた。
その繰り返しで1時間半が過ぎてしまい、その日は治療は何もしないで説明を聞くだけだった。
待合室に戻ると先程来客した方が待っていた。
お会計も現金のみで先生が担当しているので、とにかくゆっくりとしたペースなのだ。
セカンドオピニオンとしてはどうなのかと考えてみた。
腕は一流かも知れないが、時間が読めないのが一番困ってしまう。
おまけに寝ている状態で何も出来ないまま、レントゲンの写真を見て退屈な時間を過ごさないとならない。
それはまるでまな板の鯉のようである。
いみじくもゆっくりとしたペースで言えばこれまでの歯医者の方が早いのだ。
セカンドオピニオンとしてどうしたものか、
更にゆっくりとしたペースでゴールが見えなくなり、悶々とする時を重ねるのではないか。
懸念は払拭出来そうにない。
変わっている人
早川さんは変わってるね、昔からよく言われるのだが、何が変わっているのかよく解らないでいる。
一般的な思考ではないかも知れないが、人に迷惑をかけているわけではないので、個性の表れだと思って言われてもまったく気にした事がない。
「世の中の多くの人は真実をXとしているが、本当の真実はXの逆である」
アメリカのある著名人が語ったものだが、本当にそうだと思う先輩Mがいる。
Mは72歳になるが7歳と4歳の2人の子供がいる。
3人目を産む計画もあると聞いているが、7歳の小学生の息子がはしゃいで喜んでいる動画を見せてもらった。
ポケモンカードを集めていてゲームでゲットした様子を撮ったものだが、学校を休んでこんなに喜ぶのであれば、本人が納得するまで休んでもいいと言っている。
学校ではこんな喜びの体験は出来ないし、Mも動画を撮りながら涙したと言う。
来週は学校を休ませて4人で水族館へ行くと話していた。
休みの日は混雑しているので、午前中なら最前列で見られるからそれだけの価値があるようだ。
Mはコロナの3年間どこに行くのにもマスクを一度たり付けた事がない。
一緒にスーパーへ買い物に行った時に、マスクがないと入れない時があったが、Mは外で待っていた。
バスに乗ろうと電車に乗る時もノーマスクで通した。
明日からマスク解禁の御達しが出ているが、Mにはまったく関係のない事だ。
変わっている人だと思う。
レジェンド
初対面の印象は、若々しくとても70歳を超えているとは思えない姿と動きに驚愕した。
アルゼンチンタンゴのレジェンドであるリバローラ先生のレッスンを受けた。
こちらはようやく1年になるが、彼は60年以上のキャリアを持つタンゴの達人である。
基本的な組み方と歩き方を丁寧に教えてくれて、改めてタンゴの深みを知ることになった。
リバローラ先生の見守る中で踊っていると、まだまだ力みがあるようで、いかに緩みの感覚を保ちながらリードしていくか、そこが肝になるのだがそれがなかなか出来ないもどかしさがある。
それを実感したのは、リバローラ先生と踊った時に女性役となって、最初は何が起きたかさえ理解出来なかった。
まったく知らない女性のステップを自然と身体が動いて踊れている事に呆気に取られた。
彼のリードだけでそれが起こっている事が不思議でならなかった。
もはや神技で、こちらがどんなに理解しようと思っても次元が違い過ぎているのだ。
これが緩みの中でリードしている事だけは間違いない。
心地よく、彼に身を任せているだけで知らないステップをリズミカルに踊れてしまうのだ。
文字通り達人であり、レジェンドにレッスンを受けられるだけで光栄である。
ゴルフや武道、芸術家、音楽家も同じ共通の緩みの境地で、いかに力を抜いて身体を動かす事が出来るか、そこはどれも普遍的な要素だと思う。
そして、ビジネスも同じ要素があるだろう。
セルフレジ
日曜日の半蔵門は人が少ない。
散歩をしている途中で喉が渇いたのでセブンイレブンに寄るとセルフレジになっていて、スタッフの人は店内にいなかった。
商品を持って会計せずに、外に出る人もいるのではないかと心配になるくらいだ。
一方で、ファミリーマートを除いてみると、スタッフがレジ付近に2人いておしゃべりをしていた。
2人の時給分の売上げがあるのかと心配になるくらいだ。
どちらも心配の要素はあるが、日曜日や祝日の時間帯を鑑みてセルフレジを導入した方が良いと思った。
スーパーではセルフレジが目立つようになって、曜日に関係なく導入している流れをみると、コンビニもセルフレジの動きがあるのも納得出来る。
チキンバーガー専門店に立ち寄った時に、キッチンのオペレーションが2人で、ホールには1人もいないで回していた。
かなり賑わっていたが、客席周りの清潔感が保てるのか少し気になった。
また、メニューがなく、バーコードを読み取って注文する飲食店も少なくないようだ。
セルフレジにも様々な形態があるが、今後は急速に流れが変わっていくように思う。
見ざる、言わざる、聞かざる
それはお会計を済ませた後にわかった。
鮭のランチを注文したつもりだったが、単品の別の鮭料理が出ていたことにハッキリとした認識がなかった。
確かに注文した時には、「鮭」とだけ言って注文したこちらのミスだと思ったが、倍の料金になっていて確実に被害者の意識になっていたようだ。
翌日に新橋駅からタクシーに乗り込み、六本木へと伝えた。
ところが、神谷町経由で六本木へ向かっていて、かなり遠回りしていることに腹立たしい思いをした。
なぜ、2日続けてこのような事が起こるのだろうかと考えてみた。
レストランの注文でも、ドライバーへ行き先を伝えるにも、きちんと話をしていない事に気づいた。
ちゃんとに、ランチの鮭をください、六本木ミッドタウンまでお願いします、ときちんと話す事で双方の行き違いを解消することになる。
美術教室に通ってみると、いかにきちんと見ていないか思い知った。
デッサンをしてもそうだが、普段街を歩いていても、これまで見過ごしていた事に気づいた。
横断歩道の信号に赤と緑の人の絵があるが、帽子をかぶっていた事に気づいた。
一次が万事、見えている世界より見過ごしている世界の方が大きいようである。
人の話を聞いていないのは、よく言われているし自覚があると思っている。
タンゴでも音楽のリズムに合わせてステップするが、即興の場合には次にどんなステップをしようかと考えてしまい、音楽を聞いていない場合が少なくない。
このように、見ざる、言わざる、聞かざる、でよくぞここまで生きてこられたかと、不思議に思うと同時に伸びしろを感じている。
覚識
それは一瞬の出来事だった。
友人から絵を描いてみたらどうかと言われて衝撃を受けた。
これまでは、絵を買ったりアーティストを支援する事はあったが、まさか自身で絵を描くとの発想はゼロだったからだ。
小中学生の時も図工や美術は1か2でまったく才能がない自覚があったので、それも57歳になって挑戦するとは思いもしなかった。
このタイミングで主体的に動こうと思った事に流れを感じている。
早速、友人から紹介してもらった教室に無料体験レッスンの申込みをした。
その友人と食事をしている時にトイレのサインに目が止まった。
もう少し色をつけた方がいいのでは、ロゴの形も変えた方がいいとか、これまでまったく見過ごしていたことに覚識を持った。
覚識とは造語で、自覚や認識では物足りない要素を補う言葉で、いかに自分の狭い視野で見ていたのか、いや見えなかったものが見えたのか、それを覚識という言葉がピッタリした瞬間だった。
人は興味のあるものは視野に入るが、その幅が狭いと世界観が違ってくるように、覚識を持つことで可能性から発想するようになるようだ。
それからと言うもの、見る景色が違って見えて新たな創作意欲が湧いている。
潮目
住宅市場の潮目が変わってきたようだ。
高止まり感を象徴するように、売り手の希望価格での売買が成立していない状況が見え始めている。
特殊な条件を除いては、押し並べて下げ基調になっていくと思われる。
これからは販売力のある会社が存在感を示すようになるだろう。
それを代表する会社がオープンハウスで、街の中で男性スタッフがチラシを持ちながら、道行く人々に声をかけている。
寒い中でも根気よく話しかける姿を見ていると、感心すると同時にチラシを手にして話を聞いてしまう。
まさに真骨頂は営業力で、彼らの粘り強いドブ板的な力で完売している。
売上高も凄い勢いで伸びていて、3年前と比較すると2倍近くの数字になっていて、今年度は1兆円に届くと思われる。
どんな市場になっても、この営業力の馬力があれば意に介さないだろう。
CMも目立っていてユニークでインパクトのある映像が流れている。
総合力でアシストしているようだ。
潮目が変わる今こそ、彼らのようなコミットメント力が大切になってくる。
デジタル時代になっても、ここは普遍的な要素だとしみじみ思う。
美味い店
赤坂の料理屋に30名ほどが集まって新年会をやった。
関西出身の人や全国赴任した方々の話を聞くうちに、郷土料理の美味い店の話になった。
名古屋ならあそこの鰻屋が美味い、福岡の鮨屋はあそこで、大阪の鉄板焼きはここで、札幌の鍋はここがいいなど、もろもろオススメの店が出揃っていた。
早川さんは何が食べたいかと聞かれたので、名古屋キッチンリボンのシャトーを鉄板焼きで食べるのもいいし、札幌の鮨一幸でいっぱいやるのもいいが、1番大好きなカレーがいいと言った。
そこで、岡山のナッパが格段に美味しいと話してみたら、皆んな食いついてきた。
もともと大阪でやっていたスパイス系カレー店を地元の岡山へ移り営業している。
そこは町外れの住宅地の奥地で丘の上の誰も人通りのない場所にあった。
その日はあいにくの雨だったので、余裕で入れるかと思ったら何と行列が出来ているので驚愕した思い出がある。
2時間近く待った後に食したカレーに涙したことを鮮明に記憶している。
飛行機とレンタカーで来た甲斐があると実感した。
厨房は店主1人で切り盛りしていて、カレーに命をかけてきた風格を感じる。
試行錯誤しながら今に行き着いたようで、一杯しか食べれたかった事が残念でたまらなかった。
やはり、店主自ら試行錯誤して考案したメニューを心を込めて調理したものは、他に変えが効かないようだ。
最後の晩餐はきっぱりとナッパのカレーだと断言できる。
そんな話を仲間にしてみたが、実際に行くのは誰1人としていないだろう。
乾燥肌
身体のかゆみが止まらない状況が続いている。
寝ている時に無意識でボリボリやっているようだ。
おまけに、プールの後にサウナで垢すりをした影響もあり、傷跡が身体のあちこちに広がってしまった。
乾燥している気候が要因で、雨が降った日はかゆみが止まるので、明らかに乾燥肌になっている。
普段はほとんど医者に行かないが、今度ばかりは皮膚科に行ってみた。
院長は垢すりが1番駄目で、肌を守る角質を壊してしまうため、肌に良い事は一つもなく、入浴の時も身体をゴシゴシ洗うのは良くないので、軽く手で流す程度がベストだと言う。
塗り薬を処方するが一時的なものなので、飲み薬をたくさん処方するからちゃんとに飲むようにと促された。
こちらは薬は嫌いなので、直ぐにゴミ箱行きになっている。
医者は病気を治せないとは良く言ったもので、自らの内側から変えないと根源は絶たないと感じている。
ワクチンは一度も打ってないし、マスクもしないし、健康診断も一切不要という立場でいるが、今回の乾燥肌にも何か裏があるような気がしている。
周期
人生を振り返ると、今の自分を形成した体験が周期によって最も印象が強く残るシーンが浮かび上がってくる。
0歳〜57歳までの体験を思い出して紙に書いていた。
その中でも8年周期で今の自分を形成している傾向があることに気づいた。
8歳の時、学校の帰り道に友達と歩いていたら、友達が車に引かれてビックリした記憶が鮮明に残っている。
運転手さんが友達の自宅まで案内してくれと言われて、かなり長い距離を2人で走った事があった。
16歳の時には、かなり長い距離をトレーニングを兼ねて自転車で通学していた。
24歳では、当時の彼女の家に入り込んでいた。立派なお屋敷には彼女1人が住んで、両親は仕事で大阪に住んでいた。
ある時、1人裸でテレビを見ていたら、母親が入ってくるなり、怒鳴られたあげく大阪の父親から呼び出され、その日に大阪へ向かう事態になった。
32歳では早朝から毎日チラシを配っていた。
このように、8年周期でアクション、行動しているパターンがある。
行動型のタイプで、他の仲間たちと比べてみると、7年周期の人は精神性が強く、9年周期の人は知識の人だった。
どうやらこの3つの周期に分かれていて、それぞれ、特性があり自分のタイプに合った動きをすると良いようだ。
そして、周期に合った歳に動くと流れに乗れるようだ。
次回の周期は7年後である。
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