社長ブログカテゴリー記事の一覧です
合宿
北アルプスに囲まれた長野県小川村に来ている。
新幹線で約1時間足らずで長野駅に着き、そこからバスに乗り継ぐと30分ほどで小川村に到着する。
初めて訪れた場所で会社の合宿が行われている。
昨日はランチに小川村特産物のおやきをいただいた。
熟練のおばあちゃんが餃子の皮で包むように、生地に野沢菜を盛りだくさん包んでいる。
それは、一見非常に簡単な作業に写るが、さらっと具を包み込む技は長年磨き上げた熟練工のようだった。
参謀で知り合ったA氏に日暮里でのイベントでおやきをご馳走になって以来、生地の食感と野沢菜やナスなどの具の絶妙な組み合わせに舌の感覚が痛烈に印象に残っていた。
本丸のおやきの村では、縄文おやきのブランドとして囲炉裏を囲んで漬物と一緒にいただいた。
やはり、味に深みがありみんな喜んでいた。
A氏の計らいで合宿の施設と食事をセットいただいた。
初日は日曜日の13:00-18:00まで選別されたメンバーで、会社の芯が何か様々な角度で議論が行われた。
普段とは違う環境に身を置くことで、自分の深い想いが自然と出るようにする目的があった。
芯とは、会社を象徴する語彙を創作するごとにある。
社風や文化、事業や社員、私の個性などを集約して、この語彙で全ての説明がつき、何をするにもエネルギーが解き放たれるような、全社員が非常にしっくりくる合言葉のような存在になる。
A氏の同志であるI氏を今回の合宿でコーチとして招き、彼のリーダーシップにより合言葉を導き出すことになっているが、通常では短期間で導き出すことが出来るかは確証はなかった。
気持ちが開放され議論が深まってくる中で、あるキーワードが表面化していた。
それは、働き方で月のうち20日休んで10日働くというイコムヴィジョンに紐付けされたものだった。
オンとオフがないライフスタイル、プライベートの中にオンがあり、仕事の中にオフがあるという感覚である。
20日の休みを完全にオフにするという事ではなく、自らを磨く時間にあてることで、新たな体験を通じて豊かな人生を開く機会にするのが最大の目的である。
一方で、仕事の比重が大きいタイプは、20日のオフをいかに創作するか課題になる。
仕事人間と言われる輩は少なくない。
日常が硬直的になり慣れ親しんだ習慣からは、無意識で自分の欲求を閉ざしてしまっている。
本当のやりたい事を心の奥に仕舞い込み、エネルギーを詰まらせているようだ。
そのエネルギーの詰まりを取り去り、さらりと流れるようにする事でエネルギーのパワーを発揮する。今まで困難とされた自己実現や新たな挑戦が本来のエネルギーの流れで成し遂げることが可能になる。
こんな風な会社にしたいと思っている。
「オンとオフがない会社」
この語彙にピンときていない人も先ずは行動してみることが肝要になる。
今回選抜された中から2人が具体的なアクションに入る。
合宿2日目はあと数分でスタートする。
スタンフォードでの学び
スタンフォード大学のスケールの大きさに度肝を抜かれた。
日本で例えると一つの町全体の大きさに匹敵する。
東京ディズニーランド60個分の広さだという。
サンフランシスコに入り6日になり明日が最終日となった。
16時間ほどの時差があるため、15日夜のフライトで羽田に到着するのが16日の深夜になる。
今回の目的は馬を通じてリーダーシップや組織の動かし方、自分の観察を洞察するプログラムに参加して、日本で始めるプロジェクトのエッセンスにするため学びにやって来た。
今回ご一緒したメンバーは全員英語が出来る。唯一私を残してだが‥‥
その中でM氏が非常に印象的だった。
今回でお会いするのは2回目になるが、彼と一緒にプログラムを受け、またバーベキューをしながら酒を交わす時間を過ごして、改めて彼の個性的な人生を垣間見る事が出来た。
M氏は米国の投資銀行でトレーダーを6年勤め、世界でNo. 1の成績を残すも、仕事に疑問を抱き退職し、10年間にわたり世界各国の旅に出る。
述べ110カ国は回ったそうである。
その後、日本へ帰国して起業家としての道を歩み、現在は自然エネルギーの会社で破竹の勢いの成果を上げている人物である。
M氏は学生時代ロンドンやニューヨークにも留学経験があり、英語のスキルはトップレベルである。
本人はギリシャ文明や哲学的な英語の読み書きを死ぬほどやったと言っていた。
いわゆるエリートの経歴を持つ。
スタンフォード大学でのプログラムでもM氏はその教養を十二分に発揮していた。
自分の意見をはっきりと主張すれば、質問も随所に投げかけ、先生からは素晴らしい質問ですと何度となく承認されていた。
一方で私の場合は、彼が何の質問をして先生が何て答えているのかさっぱり解らない始末、おまけに通訳に訳してもらうタイミングが合わず、早く訳さないと通訳も忘れてしまうじゃないかと焦る場面もしばしばあり、悔しい思いをしたりしていた。
また、質問に対する答えもズレていたり、踏んだり蹴ったりだったが、持ち前の探求心からくるモチベーションはヒートアップ、矢継ぎ早に日本語で質問しまくり、通訳の人も疲労感いっぱい、どこまで2人で質問すればいいのかといった雰囲気になるも、先生は72歳にもかかわらず余裕の表情、さすがスタンフォードで世界各国から集まる優秀な人材を受け止めるだけの逸材である。
そうなのである。
こっちの現役学生を対象にした授業や、米国の企業社内や社外とのディペートやブレストなどは、英語が完璧に話せないのは論外で、そんな奴の為に無駄な時間を費やすことなど出来ないのだ。
しかし、今回はちゃんとに通訳を介したプログラムの構成になっているので、私の質問にも的確に答えてくれるし、M氏と先生の丁々発止に渡る会話もタイミングを見ては部分的に訳してくれていた。
翻ってみると、海外に出て揉まれるのは、若いうちに経験した方が絶対にいいと確信した。
それも、10代の前半位がいいだろう。
M氏も言っていた。
自分のような苦労をしなくともショートカットする道があるのだから、出来るだけ若いうちにそうすべきだと。
今回はオブザーバーで私の次男も参加したが、M氏に言わせれば発音や言葉の使い方一つで相手の教養度がわかるので、米国で友人を作るならとことん英語をマスターしないと仲間に入れないとも言っていた。
次男はフィリピンで2年間英語漬けになっていたかのようだったが、M氏の話しを聞いてまだまだ低レベルだったのが直面的で、これからの指針としては素晴らしいきっかけになった。
もっともっと、たくさんの経験をして大きく羽ばたいてもらいたい。
M氏は明日よりアルゼンチンに向かいタンゴの世界大会に出場するため、サンフランから約20時間のフライトになる。
他のメンバーもニューヨークに入りそれぞれの目的を果たし、次男はフィリピンへ戻り、私は日本へ帰国する。
皆それぞれの目的に向かって旅立つ。
皆んなとは、9月下旬に天然村で集まる予定になり、再会が楽しみである。
すごい世界
A社よりある企業の買収を提案された。
その時は特に魅力を感じなかった。
しかし、よく書類を確認するとシナジーが出せる可能性を感じ始めていた。
同一業界ではあるが業種が異なるため、組み合わせ次第ではよい買い物になると判断した。
初めて具体的にMAを進めることになり、自分なりに留意点をまとめてみた。
相手企業の強みは何か。
継承する資産、負債の中味を精査する。
買収金額の資金調達。
主にこの三つをそれぞれの専門家に相談してみた。
そしてA社に具体的に話しを進めるにあたり、A社への報酬がどの位になるのか聞いてみた。
すると、担当者のN氏はさらっと言い放った。
9000万円になります。
私はその金額に驚愕したと同時に大声を張り上げた。9000万円!
N氏はおくびにも出さずに、その金額が私どもの報酬になりますと言った。
例えて言うならば、不動産の売買で仲介業者が得る報酬の規定は売買金額の3%が上限になっている。
しかし、MAの仲介報酬に上限の規定はないのだ。
すごい世界があるものだと知った。
私は2000-3000万円位だと踏んでいたが、それとは大きくかけ離れた数字だった。
おまけに、交渉相手が二社加わった事で確実に買収出来る状況ではなくなっていた。
話しを進めるには手付金を400万円用意する必要があり、たとえ交渉が成立しなくともその金額は戻せませんと言う。
それはまるで、カジノのポーカーゲームで乗ったら最後まで突っ張り通す覚悟で臨んだが、相手が余裕で受けている様子を見て突然降りてしまい、かけ金がすべておじゃんになったかのようである。
要するに、貼った金は戻しませんよと言う、賭博の元締めのようなA社は強気相場で、やりたい放題の一人勝ちの様相を呈している。
しかし、事業なので丁半博打のような賭けに出るわけにもいかず、相手の出方を見てから判断することにした。
翻ってみると情報を握っているA社はコントロールが自在で、価値の対価さえ操るのもお手の物。一方で、閉ざされた世界での取引で、米国のようなマーケットに対してオープンな流通市場とは対極にあるのが日本のMAの現状である。
よく新聞を賑わしている大型な買収は兆単位にもなり、そこに介在する仲介役となる銀行や企業はとてつもない額の報酬になるのだろう。
担当者のN氏も元金融機関出身で、MA事業部に所属していたようだが、今はA社で稼ぐことかなりの給与水準に達しているのが容易に読み取れる。
すごい世界を垣間見る機会に恵まれ、次のチャンスに生かしたいと思う。
ソイラテアイスグランデ
氷なしで注文してからグランデの容量が極端に少なくなった。
氷がない分、中身が少なくなったのは当たり前だが、氷の存在がかなり大きかったとも言えるだろう。
スターバックスではマニュアル化してあるので、注文の際に必ずどこの店舗でも聞かれる。
「少なくなった分、ミルクを足しますか?」
一度ミルクを足してもらった事があったが、旨味が落ちるのでそれ以来やめてしまった。
しかし、中身と氷の比率が合っていないように感じる。
見栄え的にも容器の大きさとのアンバランスが冴えない。
また、実際に容量も少なく物足りなく感じる。
サンドイッチを食べながらだとあっと言う間になくなってしまう。
おまけに、感覚的にも一杯500円近く、食べ合わせると1000円を超えるので割高感がある。
では、なぜ私はほぼ毎日のようにスターバックスでソイラテアイスグランデを注文しているのだろうか。
1000円のランチを比較検討してみると、とてもスターバックスが優位にあるとも思えない。
周りを見渡してみると若い年齢の方々も食べ物と合わせて注文している。
マクドナルドのようなセットメニューがないので、企業から見ると営業利益率は圧倒的に高い感じを受ける。
なぜ、割高感があるのに皆んなスターバックスに行くのだろうか。
少し考えてみた。
他に同じ商品を知らない。スターバックスが一番美味しいと信じ込んでいる。
パターンを変えない傾向が強い。本当に美味しいと感じている。自然と行きたくなる。品質がいいと思い込んでいる。無意識でブランドに共鳴している。
店内利用であの空間が結構お気に入りの人々もたくさんいるだろうが、私の場合はほぼテイクアウトなので、空間はその対象にならない。
一つ思い当たる節があった。
私の周りにいる人々が信者に近いのは否めない。
誕生からのプロセスを本で理解している人も多いだろう。
信者とまでいかなくともファンがたくさんいるのは間違いない。
圧倒的な存在に弱いのかも知れない。
普通のコーヒーやアイスコーヒーは他の店で注文する機会の方が多い。
なぜならスターバックスより美味いコーヒーを飲みたかったら他にもたくさんあるからだ。
しかし、ソイラテアイスグランデは他の店にあるかを知らない。
私だけかも知れないが、ソイラテアイスをわざわざ他の店に入って注文する思考がない。
自動的にスターバックスに足が向かうようになっている。
自分の中でスターバックスが圧倒的な存在になっていることに気付きがある。
私の場合、他の選択肢がなくなってしまうのだろう。
コンビニもセブンイレブンしか行かないし、ハンバーガーショップもモスバーガーの馴染みである。
何か行動パターンが決まっているようだ。
たまには違う行動パターンも試してみようと思う。
次男
チャイムがなった。
予定時刻を1時間程過ぎていたが、連絡が取れない状況にやや苛立っていた。
鍵は開けていたので入るように声をかけた。
彼が自宅に入るのは、フィリピンに行って以来丸2年ぶりになるだろう。
次男が一時帰国のため、成田空港から六本木まで電車を乗り継いで帰ってきた。
風貌からは25歳くらいに見られても不思議はないだろう。
髪を後ろに結って、長男に似ていたので一瞬見間違えるほど大人びていた。
中学校を卒業してすぐ、単身片道切符でフィリピンへ飛び立った。
当時は日本にいたところで、定時制高校に行くしか進路はなかった。
ちょっとした悪さをして警察の厄介になったかと思えば、次はひきこもりで不登校とまったく冴えない中学時代を送っていた。
その延長線にはまったく明るい未来はなく、異国の地で社会人として働きながら勉強をした方が彼の未来に得るものが大きいと判断して、未知の世界へ送り出したのだ。
半年前にフィリピンで再会した時よりも更に変化していた。
携帯もフィリピン仕様になっているので、WiFiが使えないと通信不能なため、移動中には連絡がつかない状態なのだ。
一時帰国の目的はパスポートの更新手続きで、約10日間滞在する事になる。
本来なら現地の日本大使館で手続きする段取りをしていたが、書類を現地に送る場合に期限が不確定な事もあり、大事をとって帰国させ日本で手続きすることにした。
帰国した夜は家族で食事をした。
フィリピンでのローカルな生活について話題になった。
発展途上国での生活に慣れた彼は、お金を消費して楽しむ文化とは違ったものを身につけていた。
環境が人を変えると言うが、彼は必然的に月収3万円の範囲内で生活するしかない状況に置かれている。
例えば、現地のスタバでラテを注文しても価格は日本と変わらない。
つまり、物価そのものは先進国並みなのだ。
しかし、ローカルな地域での物価はそれらと異なる。
日本人から見たら汚くて入らないような地元店があり、そこは異次元な空間でまさにローカルな生活の場となっている。
次男もそこへ普通に行き来する地元人と化しているのだろう。
フィリピンの平均月収が3万程だという。
次女がカラオケのアルバイトで稼ぐ金額にも届かないと言って苦笑いをしていた。
来月予定している仕事でサンフランシスコへ行く。ホースセラピー研修とアクアポニックス現地視察を予定しているが、次男には通訳として来てもらう事になっている。
次男はマニラから出発するので、サンフランシスコ空港で待ち合わせして、一緒に現地に向かう事になっている。
日本からは関係者も数人合流する。
その中にはアメリカ留学経験者が何人もいるので、彼にとって今後の進路を決めるのに相談出来る良い機会になるだろう。
日本にいる間は友達と朝まで遊んでいた。
それはまるで、普通の少年に戻り、水を得た魚のようにはしゃいでいた。
女の子を家に連れ込みよろしくやっていた。
つかの間の幸せな時間を過ごし帰国して行った。
映画からの観察
上映している場所をネットで探したが、首都圏でわずか3か所しかなかった。
おまけに1日1本の上映という極めてマイナーな映画を見に来ていた。
池袋の雑居ビル地下にある映画館は昭和の雰囲気たっぷりの場所だった。
レトロ感のある映画マニアが好みそうな空間だった。
間違っても自ら好んで見に来ることはなかっただろう。
私のコーチ役であるK氏から葛城事件という映画を見て自己を観察するように勧められた。
この映画は実話を元に製作されたらしい。
主人公を演じる三浦友和を通じて様々な自己観察があった。
長男が自殺し、次男が無差別殺人を起こし死刑になり、家族が崩壊するという内容だ。
普通の家族が直面する課題を父親の在り方を焦点とした構成になっていた。
独善的で自己の価値観を強要し、自分の理想とする人生を歩んでいる子供は承認するが、そうでない子供に対しては厳しく冷徹に接することで、事件へと発展していった。
受け入れる、見守る、相手の感情を尊重する、これらの要素を父親が持ち合わせていたら、あのような事件に発展することはなかっただろう。
一方で、そこに至るまでの過程において、気づきのチャンスがなかったか、そんなシーンがあったとしたら、どこの場面だったか回想してみた。
それは、子供が発した何気ない一言だったりする。
しかし、自分が絶対に正しいとしている価値観の呪縛から逃れない限り、その声を掴む事は出来ないだろう。
思考回路が自分発信から相手発信を受け取るように変わったら、あるいは、自分の感情より相手の感情をキャッチする方を優先するか、このように自らを変える準備が整っていたら、あのタイミングで局面は変わっていただろう。
ただ頑なに自己の価値観を相手に強要する主人公の結末は、誰も周りにいなくなり最後はひとりぼっちの孤独で終結した。
相手の感情を尊重する一方で、それに偏り過ぎるとどうだろうか。
自己の信念が希薄になり物事を成し遂げることが困難になるだろうか。
何年か前にK氏からある本を推薦された。
イワンのバカというロシアの民話を読む機会があった。
あれは究極の受け入れ度合いで、自分勝手で価値観を強要する兄弟たち全ての要求を受け入れた結末に王様になる話しだか、この物語でイワンがバカと言われる位に相手を受け入れている様を最初はただ短略的に受け入れているだけで、信念はないと見ていたが、どんな相手も受け入れる信念があるという事実がはっきりと理解できた。
今回の映画を通じて自分が持っている価値観を手放す機会を与えてくれたと思う。
長い間持ち合わせていたもので、簡単に手放す事が出来るかどうかだが、まずはそんなシーンがあった時に観察出来ている自分を自覚する事から始めてみようと思う。
素晴らしい映画を推薦してくれたK氏に感謝である。
里山再生プロジェクト
雨中での作業になるとは思いもしなかった。
皆んなひたすら無言で膨大な量の草を刈っていた。
毎年恒例の社員による天然村研修が行われた。
里山再生プロジェクトで休耕田だった棚田の風景を復活するための活動を地域と連携して取り組んでいる。
普段は地域の方々が田んぼのメンテナンスをやっていただいているが、雑草の量が膨大になり過ぎたので、我々が2日にかけ約20名でやって来た。
その他、大学3年生4人がウーファーとして参加した。
初日は雨中のスタートとなり、全身びしょ濡れになりながら雑草と格闘していた。
徐々に雨脚が激しくなり、寒さを感じながらひたすら作業に没頭していた。
毎年恒例の天然村研修では、敷地内の雑草刈りを6年にわたり続けてきたが、かつて一度も雨が降ったことはなかった。
雨中の作業は、足が滑りやすく身体も冷えるため難業となり、おまけにヘビが突然飛び出したり、大きいヒキガエルがひょっこり現れたりする。
作業が終わりシャワーで身体を温めて宴会になった。
学生たちと飲みながら話をした。
ウーファーといっても就職活動を意識した中での友達同士の参加者もいて、全員男性だったが個性のある優秀な学生だった。
彼らも大がかりな草刈りは初体験だったし、雨中に作業をしながら草刈機を操るのも慣れるまで大変だったと言っていた。
2日目はうって変わり晴天になった。
早朝から始めたが、9時を過ぎる頃には猛暑と化し、前日とは真逆の環境になった。
汗が止まらなく、果てしなく続く雑草に心が折れそうになる。
周りをを見渡すと疲労感たっぷりの表情になり、それはまるで部活が終わりシゴキの時間のような雰囲気で、いったいとごに向かっているのかわからなくなる始末。
呆然と休憩しながら見渡すと、すっかり綺麗になった光景に達成感がみなぎり活力へと変わった。
里山とは日本独自の文化でその美しさは観光資源になり、世界にも十分通用すると言われている。
特に棚田の風景は観光バスが乗り入れるほどで、里山を再生したり保護する活動は、これからの日本にとっては大変重要になるだろう。
我々は、里山再生プロジェクトによる新たなコンテンツを用意した。
時期を見てプレスリリースする予定だ。
観光ビジネスに繋がる大きな一歩になるだろう。
この2日間にわたる膨大な草刈りは里山再生には尊い地域貢献の活動になった。
風土とは、風の人と土の人が一緒に活動して成り立つ。
風は外の人々、土は地域の人々、まさにイコム社員が地域の協力を得て里山再生プロジェクトを立ち上げ風土を作っている。
10を200にする企業と0を10にする企業とどちらに魅力ややりがいを感じるか。
我々は勿論、後者である。
二度寝
不覚にも二度寝をしてしまった。
おまけに目覚めると午後2時になっていた。
それはまるで別世界にでも行っていたかのような感覚と同時に、意思に反して身体の自由が効かなかったようである。
普段どおりに4時に起きて、いつものルーティーンを終え、ジョギングに出かけようと思った時である。
ほんの少しだけよこになろうと思った。
そこまでは記憶にあったが、あっという間に夢の世界に入っていた。
日曜日だったので、無意識だったのだろうか。
約束の16時までは時間的に自由だったので、もう一人の自分が身体を休めようと誘導したのかも知れない。
それにしても、二度寝を合わせると睡眠時間が12時間に達していた。
普段の2日分は優に超える。
学生時代に過ごして以来、こんなに寝たことは記憶にない。
どんなに努力しても、意思に反して身体は起きてしまい、そんなに寝れるものではない。
ところが、今回の場合はそれとは完全に逆のパターンになってしまったようだ。
しばらくの間、ボーとしていた。
直ぐに思考が働かなく、16時の約束の時間だけ意識がはっきりあり、逆算してあとどれ位の時間こうしていられるか、そこははっきりしていた。
むしろ、時間的なしがらみがなければ、まだボーとしていたいくらいだった。
不覚にもだらしのない学生に逆戻りしたかのような自分を恥じていた。
時間を合わせるように、近所のモスバーガーに行ってみた。
前回はじめて食べたモスバーガーのパンの代わりにレタスでハンバーグを包んだものがある。
フレッシュ感があり、お気に入りの一品である。
不思議とのんびりとした空間に感じられた。
周りには一人のお客さんがほとんどで、スマホをにらみながらハンバーガーを頬張っていた。
モスバーガーは、おいしさ、安全、健康をコンセプトとしていて、これがブランドになっているようだ。
オペレーションも非常に丁寧で、食材の仕入先が掲示板に書かれている他、入り口にはその日のスタッフ日記のようなものが、掲示板に紹介されていた。
出店立地にしてもマクドナルドの駅前の特A立地に対し、駅から多少なり歩いたA立地に位置している店舗が多く、それも落ち着きのある店を演出している要因でもあるようだ。
そんな事を考えながら、シンガポールに出張の際に見かけた光景が蘇る。
ランチの時間帯にモスバーガーの店を通りかかったら、長蛇の列をなしていた。
圧倒的なファンがいるのだろう。
おいしさ、安全、健康のコンセプトがシンガポールの人々に浸透しているだろうと回想していた。
そろそろ、時間になったので約束のK氏の自宅まで向かった。
この人物は私の尊敬する方で、周りには知っている人がたくさんいるが、本人が知らなかったりする人々が大勢いらっしゃる。
自分を大きく見せるような事は一切なく、謙虚で自分の意見をはっきり言うが、相手に押し付けることのない素晴らしい御仁である。
72歳になられるが、眼光は鋭く普通の人とは一線を画する雰囲気を持っている。
自宅に招かれるのは初めてだが、まだ幾分ボーと感を残しながら向かっている。
ゆっくりと酒を酌み交わして会話を楽しみたい。
Paris
夜の9時を過ぎても昼間のように明るい生活に慣れてきた。
パリに来て11日になった。
100キロは歩いただろう。
1区から18区まで縦横無尽にひたすら歩きながら街を観察した。
おまけにAirbnbで借りたアパートが7階でエレベーターがない。
階段なので、夜は酔っ払いで帰ると昼間の疲れもあり、ヘトヘトになって7階までようやくたどり着く有様。
ローカルな生活を体験する目的だったが、次回は普通にホテルにしようと心に決めた。
それぞれ特徴のある街並みで住んでいる住民の雰囲気も異なる。
新宿や原宿、銀座といった日本の街並みと比較すると、より土地勘が掴めるようだ。
至るところにカフェがあり、テラスでエスプレッソを飲みながら新聞を読むビジネスマンや、昼間から日常のごとくワインを飲んでいる人々を見かける。
現地では、不動産のエージェントを紹介してもらい、幾つかの物件を紹介してもらった。
また、パリ日本食レストラン業界のドンと引き合わせていただき、現地での出店について留意点などを聞かせていただいた。
現状のパリは、テロやストライキ、セーヌ川の洪水による被害もあり、更に為替の変動が駄目押しとなり、景気は最悪の状況だと言う。
不動産屋から紹介してもらうより、現地の店に行きオーナーと会って直接交渉した方が早いし、物件も特定出来るので、やり方としてはアリだと教えてもらった。
その位、店を閉めたい心境にあるのが現状のようだ。
表からはまったく想像もつかないどころか、パリに集まる世界中からの人混みに、物件を探すのも一苦労だと感じていた事もあり、貴重な情報をいただいた。
幾つかの案件を吟味していたが、弱気相場から強気相場の転換期でもあるので、慌てずにじっくり探す事にした。
9月に徳島県が協賛する阿波踊りイベントがあり、日本食屋台の出店があるので、それに合わせて物件を決めたいと思う。
そして、日本食イベントに参加してきた。
パリの人々にPRする目的で、既に現地で営業している店や日本から新たに挑戦する人々もブースを設けていた。
パリの人々は日本食もさることながら、日本文化にも興味があるようで、毎年一度行われているイベントだった。
食事も現地一押しのフレンチを毎晩のように案内されたが、どれも抜群に美味しいかった。
しかし、3日位前から醤油が恋しくなりご飯と納豆と天ぷらそばが無性に食べたくなった。
夜ふらっと日本食系の店に入った時に注文してみた。
現地スタッフはフランス語か英語しか話せないが、私は構わず日本語で納豆と卵かけご飯はないか聞いてみた。
熱意を持って言葉の波動を放てば、相手には通ずるものだと確信した。
しかし、今だに食べらていない。
そして、残り3日はバカンスで南仏にやってきた。
モナコとニースを回っているが、世界中の富裕層が集まるエリアだけあり、街を歩くと美女があちこちいて、ランボルギーニやフェラーリがごちゃごちゃしている。
桁違いの金持ちが集まり、クルーザーでバカンスを楽しんでいるようだ。
住んでみたくなる街を充分に堪能したい。
最終日はパリに戻り、ユーロのサッカーを観戦する。招待されているので、興味はまったくないが行った方がいいと言われているので
イタリア対スペインを見てくる。
パリ入り
パリ入りして4日目になった。
1日に10キロ歩きながら18区ある街並みの特徴をある程度掴みかけたようだ。
徒歩と地下鉄を駆使しながらパリの名所を確認した。
ルーブルや凱旋門、エッフェル塔、オペラ座などは位置を確認したが、観光を好まない私は中に入らず知るべき場所を知るまでの事だとしていた。
意外だったのは、パリの地下鉄網が充実している事だった。
東京にも引けを取らない。
平日は3分待てば電車はやってくる。
時間も正確だし、プラットホームが大江戸線のような深い位置ではない。
あらゆる場所に行けるし、渋滞とは無縁なので、大変便利な交通手段である。
そして、今回の目的は日本人の料理人がパリで出店するのに、手軽に店が持てるお試し店舗、マーケティングを実行する期間、(1ヶ月から6ヶ月の短期間)貸し出しする場を提供するためだ。
どこに店を構えるのがベストか、先ずは街並みを知るために歩きながら地下鉄を利用したわけだ。
また、普通にホテルを取るのもつまらないので、Airbnbを利用し、移動はUberを使ってみた。
まさにパリはITテクノロジーを存分に使っている印象を持った。
日本より先んじているのは勿論、既成概念を打ち破る国民性も感じた。
特にUberはスマホを使い画面を見ながら、何処に車がいるか一目瞭然にわかる。
アプリを使い、目的地をスマホで表示すれば、2分と待たずに迎えに来て、語らずとも宿まで送ってくれる。
おまけに、タクシーより親切で明瞭会計だから安心して利用出来る。
夜の会食後の交通手段とすると、大変便利なツールとなっている。
パリの特徴の一つに、夜の9時になってもまだ明るく、日の入りが10時過ぎになるので、1日がとても長く感じられる。
街の特徴を掴んだので、明日からは具体的に現地の不動産会社から案件の紹介を受けて、現地を視察する予定である。
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