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社長ブログカテゴリー記事の一覧です

キャシュとデット

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嵐の湯三郷店に久しぶりに行ってきた。
ふと、周りを見渡すと建売住宅を建築している職人さんが忙しく動いていた。

住宅を購入する人はいつの時代でもいるのだろう。
かつて更地だった場所は住宅地に変わっていた。

しかし、住宅ローンを組んで買う人が大半を占める。
私は絶対的な賃貸派だ。
住宅ローンを組んで買う人のロジックは、月々の支払いが家賃並みで買えるのだから、賃貸物件を借りるより資産が残る方が賢明との判断である。

それは、キャシュ(現金)とデット(負債)のバランスで成り立つ。
住宅ローンは明らかにデットの割合が大きく、バランスが大幅に欠けている。

嵐の湯に入りながら、かつての苦い経験を思い出していた。

嵐の湯大宮店を会社の新規時業として始めたのが約9年前だった。
オープン当初3日間は無料キャンペーンでお客様はごった返す一方で、夜間の人手が足りず私も現場に出て、フラフラで朝出勤するという日が続く有様だった。
1年が経ったころ、当初の計画にあったキャシュには遠く及ばなかった。
また、デットは億の単位、明らかにバランスを欠けていたと同時に、この状態を続ければ会社全体に及ぼす影響が大きくなるのは明白だった。
今、撤退すれば全体の3割ほどのダメージで済む。
オープンから1年半で嵐の湯大宮店は閉店した。

最近、飲食店の入れ替わりの激しさに驚かされる。
1年ほどで変わるのも珍しくない。
3年経つと生存率は50%に達する。
明らかにデットのバランスが大きいためである。
最初の1店舗は、初期投資を抑えてキャシュとのバランスを鑑みる、そのサイクリングを経て次に行くなら生存率も上がっていくだろう。

この構造は会社も個人も変わらないだろう。
会社が倒産する決定的な要因は、キャシュがデットを賄えなくなるポイントを迎えた時に臨終になる。
これは、私が見てきた限りで明らかな事実だ。

個人でもキャシュを生まない住宅を購入するにはデットが大きい。
それを賄う自分の収入は、将来にわたって安定的なキャシュとしてあてに出来るだろうか。
この大きな大変革期にそれが通じるとは思えない。
家賃は負債ではない分、キャシュとのバランスが立つ。

現金で買える人ならともかく、普通の人は賃貸物件をうまく活用する方が時代に合っているように思う。

社員の結婚式

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そこは30年ぶりに訪れた場所だった。
私が初めて友人の結婚式に出席した人生初の式場である。

イコムの女性社員Sが入社2年目の早さで愛でたく結婚した。
お相手は地域の金融機関で年齢も同じ、若いカップルとその友人がもたらす若さのエネルギーを感じさせる披露宴だった。
友人関係を含めると120名ほどのたくさんの人達が祝福してくれていた。

ここ2、3年で女性社員の結婚式に出席する機会が度々あった。
婚姻後まもなくして、ご主人の転勤でマレーシアに行ってしまったり、九州の宮崎へと離れて行ったことから、私は女性社員の結婚に対して少し複雑な気持ちを持っていた。
また、出産のために産休に入っている女性社員も2人いる。

今回の披露宴で主賓の挨拶をさせていただいたが、正直な私の気持ちを含めた内容の話しをした。
Sから話しを聞いていたことは、主婦の役割を夫にやってもらうことを想定していて、それとなく夫にも話しをしていると言うことだった。
また、結婚に至った経緯も事前に聞いていたことが、果たしてどこまで事実なのかを新郎から直接聞きたかった。

私は挨拶の途中で新郎にヒアリングした。
ある日、何となくブライダルフェアがやっているので、車を見るような軽い感じで行って見たら、何とその場で挙式が決まったとSから聞きましたがそれは本当ですか?
すると、新郎は苦々しく決断せずに居られない雰囲気にのまれてしまいました。と正直に答えてくれた。
やはり、Sが描いていた策略にまんまとハマった格好になったわけだ。
さすがにそこはスピーチにはしなかったが、新郎の苦々しい顔が印象的だった。

また、主婦の役割を担う話しを振ってみたが、それはゼロではないです。と言うにとどまった。
それはそうだろうと後から思った。
仮にも私が主婦の役割を果たしますなど宣言したら、ご両親もそうだが勤務先の方々にも面目丸つぶれになるだろう。

披露宴で気になったのは、写真をやたらとたくさん撮るシーンがあったことだ。
新郎新婦と一緒に写ろうと次から次へとスマホを持ってやってくる。
新郎が汗をにじませながら作り笑いをしている姿に違和感を持った。

恒例の両親への手紙はメインイベントで、新婦が涙を見せるシーンはやはり感動的だった。
新婦の父親は涙を見せることはなかったが、私が逆の立場だったらどうなってしまうかと想像するに、それは娘に初めて涙を見せる場面になり、号泣して周りなど気にせず子供のように声を上げてしまうだろう。

今年も新たに挙式の知らせが届くかも知れない。
次は誰だろう。
M16の情報筋からある人物の名前が上がっている。

新年の下町と山の手

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墓参りの途中、歩きながらふと思った。
見慣れた街のはずが、情緒ある雰囲気を改めて感じていた。
最近は妙に下町が気に入っている。

北千住は生まれた土地で幼いころから馴染みのある街だが、下町といった意識はまったくなかった。
人情味や活気を肌で感じるのは、下町の独特の文化みたいなもので、自然と近所の人達と親しくなれる。

一方で、山の手は住宅地や商業地にしても何か見えない線があって、一通りの挨拶をしたり世間話しはするけど人情味を感じた事はない。
人々が集まる意味では活気は感じるが、下町の活気は一体となったものに対して、山の手は個がそれぞれ別々になっているように感じる。

特に顕著なのが、商店街にそれを見て取れる。
北千住の東側は再開発がされていないため、駅から続く商店街が昔のままで50年以上やっている店が少なくない。
八百屋、肉屋、総菜屋、中華店、洋食屋、などなど個店が並び、花屋さんから文房具店まで生活するのに事欠かないばかりか、大きなスーパーがなくても不便を感じない。
豆腐一つ買うにも専門の豆腐屋さんがあるので、一つ一つ買い物をするのに個店の主人と喋りながら歩いて回るので、必然的に商店街と住民の一体感が生まれるのだ。

最近は駅ナカの商業施設が充実しているので、そこでコンパクトな惣菜をいくつか買って自宅で直ぐに食べれるから、すごく便利になっているし私も成城石井の惣菜はお気に入りの品がいくつかある。
山の手はこんな感じなので、個人がそれぞれチョイスした品をレジに並んで精算する仕組みが効率的になっている。

北千住の商店街を歩いていると、洋食店や中華店を見る度に入ってみたいと思わせる雰囲気を感じる。熟練のシェフが代々受け継いだ秘伝のタレやスープが歴史を感じる趣のある店内で、より一層味が引き立つのは、下町の最大の魅力かもしれない。
創業60年の焼肉屋に初めて行ってきた。
メニューもタレもどこにもない、凄い店だった。

六本木のグランドハイアットで朝早い時間にテスラを充電する機会があった。
車の充電が終わる30分、二階のレストランに入り朝食をした。
7時くらいだったが、周りは外国人しかいなかった。
とてもリラックスできる雰囲気の中、ヨーグルトと中華粥を注文した。

こんな感じで、新年を下町と山の手で共に暮らしてみると、それぞれの特徴が魅力的で暮らしをそれぞれ体験することに意義があるように思う。
まさにhabitationスタイルで、イコムのタグラインの一つである、複数の拠点を行き来するライフスタイルになる。
私自身もこれを実践しているので、普通の日常になっているが、下町は生まれ故郷でもあり、
もっと深掘りしても良さそうな気がしている。

タイミングが咲いた

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友人iが食事に招いてくれた。

アントニオ南青山本店、三代続くイタリアンレストランで、日本で70年間続く老舗の中でも本丸として人気を博している。

立地の利便性は低いが六本木通りと駒沢通りが交差するあたりに位置している。
表参道から歩くには15分は要するだろう。

休日の少し早いランチタイムにも、周りを見渡すとカップルや親子連れで賑わっていた。
iは馴染みのようで、三代目の当主がテーブルまで挨拶に見えた。
まさに、アントニオそのものといった感じで、ワイルドなイタリア人の血を引く若者だった。

料理はサラダが絶品を極めていた。
レタスとトマトを中心としたシンプルな組み合わせだが、フレッシュで甘みのある野菜はかなり高い評価だった。
iはかつて、このサラダを2つだけオーダーしたと言う。
少食の彼ならそれで充分だろう。

デザートのティラミスを注文した後、このあとの予定を互いに話した時、iの興味深い行動に思わず聞き耳が立ってしまった。
私はアマン東京でティータイムを過ごす予定だったが、時間をずらしてiと行動を共にする事になった。
タイミングが咲いた瞬間だった。

iの古い師匠的な存在であるM氏に会いに行くため、私も同席することになった。
iは月に一度はM氏と面会しているようで、彼のビジネスに対する相談役としてのパートナーシップのようだ。
私が注視したのは、M氏の卓越した能力に惹かれてのことだった。
iの体験談を聞いていると、自分に対する指摘が的確で、伸ばす方向性と修正すべき項目が明確になっている。
つまり、自分自身が無意識の領域に押し込みた心理を引き出し、顕在化した事象を持って説明しているようだ。

渋谷へ向かい、あるカフェでM氏が来るのを待っていた。
荷物をたくさん持ったM氏がiに微笑みかけて席に着いた。
M氏は初老であったが、エネルギーが常人と違っているのが一目見てわかった。

しばらく雑談したあと、私の見立てをしてくれた。
それは、最近自分自身でも薄々感じていた事だったが、あまりにも無意識領域のため、それが認識出来なかった。
というよりは、正体を暴かれたと言う方が的確のようだ。

実に腑に落ちる、ズバリと指摘してくれるが故に、納得感がMAXである。

自分自身の癖、無意識に葬っているそこをどうすればいいか、実にシンプルに指摘してくれた。
このタイミングで来たか!率直な感想である。
まさにタイミングが咲いたのだった。

iから食事に招かれたきっかけで、その日にこんな事が起きるのは仕組まれているのだろう。
ラジオの周波数がぴったり合ったように。

しかし、癖を修正するにはそう容易くはないだろう。
恐れがふっと湧き出していつもの癖を無意識でやってしまうかも知れない。
いや、慣れるまでは普通に出してしまうだろう。

そんな事を考えながら渋谷の人混みをゆっくりと歩いていた。

強い信念

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LINEを見ると娘からだった。
モデルのオーディションの最終選考に残ったとの知らせで、明日の夕方にプロダクションのオフィスへ一緒に行って欲しいとのこと。

彼女は16歳になるが、引っ込み思案な性格でモデルには向かいと思っていた。
しかし、昨年からオーディションにトライするが落選するも、諦めないで再挑戦している。
夢を諦めない強い意志は非凡なものを持っているのかも知れない。

表参道から骨董通りを歩くと六本木通りの手前にプロダクションのオフィスがある。
前回のオーディションは面接官9人の前で大緊張したそうだ。
質問にもハッキリと答えられなかったので、本人は落選を覚悟していたそうだ。
確かにそれは私にもわかる。
ただでさえ自己表現が苦手な上、オーディションの本番でしかも9人の審査員を目の前にしたら、コチコチに固まって黙ってしまっても不思議ではない。
私は合格した要因を知りたかった。
競争率27倍に勝ち残った真実が何かを。

オフィスに通されて2人の若い男性スタッフと対面した。
私はなぜ彼女が残ったのか質問した。
すると、ズバリ顔だと言い放った。
今時の顔でモデルの素養はあると見立てたようだ。

私はすかさず質問した。引っ込み思案で自己表現な下手な娘がいくら今時の顔で可愛いとは言っても、それは決定的な要因ではないかと。
すると、自分を変えたいという強い意志があれば、全く心配いらないです、むしろ雑誌の写真やステージに立つ中で、見られたり撮られたりする過程で、克服した例はたくさんあると言う。
プロダクションの視点は完成した人より、磨き上げて作品にする方に注力している。
もちろん彼らの目に止まる何かがないと駄目だが、目利きでそこを武器に伸ばして短所を克服するイメージである。

私は彼らに同調し熱く語りかけた。
全くその通りで家の中ではまったく違う彼女がいて、充分過ぎる位の自己表現をしている。
つまり、他人に対して力を発揮出来ないだけで、何かのきっかけで人見知りや他人に対しての恐怖心の壁は突破できるのではないか。
何よりモデルになりたい強い信念がありますから。
何とかプロダクションの力で彼女の潜在力を発揮して欲しいと。

私が言うまでもなく、彼らは可能性から発想していた。
最終選考は本人と親の同意を兼ねたもので、プロダクションとの契約は織り込み済みだったのだ。

早速、来週からプロフィール写真の撮影をスタートすることになった。

あんなに引っ込み思案な彼女がここまで来るとは思わなかった。
何度挑戦して失敗しても夢を諦めない、自分は出来るという信念がここまで成長させたのだろう。
しかし、ここからが本丸のスタートで、実際に仕事のオファーがきて上手く回る循環が作れるか、また新たな壁を乗り越える時期が来るだろう。

売り手と買い手

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日曜日のお昼、モスバーガーの繁盛ぶりに感心しながらコーヒーを飲んでいた。
家族連れやカップル、シマホをいじっているシングル、あとはテイクアウトのお客さんが多いのが印象的だった。

モスバーガー側から見ると安全な食材をフレッシュに旨さを追求した商品を提供し続ける、この想いがブランドとして浸透している。
一方で、お客さんは安心な食材で清潔感のある美味しいハンバーグやチキンを食べに行く、こんな想いで店に来ているようだ。

売り手の想いと買い手の想いが見事にマッチしている。
ドラッカーの名言には、それがほとんどマッチしている会社はない、と言い切っている。

最近、友人がスーツを仕立てたとの連絡があった。
元は私を通じて知ったのだが、そこの会社の理念や考え方に共感したから注文したと言っていた。
私もそれを聞いてスーツを買おうという気持ちになった。
スーツのsadaである。

早速、店に行って仕立ての注文をしていた。
すると、次々とお客さんが入ってくる。
閉店間際に5人ほどの来客に店長はてんてこ舞い、採寸したり仕様を決めたりするプロセスがあるので、1人体制では追いつかず他店から応援を要請していた。

私は何でこんなに流行っているのか店長に質問した。
すると、工場を自社で持っているのが最大の強みですときっぱりと言った。
通常はお客さまから注文を受けて、下請けの工場へ発注するので、その分コストが上がる他、実際に製品を作るのが自社で完結する事で、作り手と売り手が同一化している。
従って、B→B→CからB→Cの構造になるので、シンプルに会社の理念や商品に対する想いがお客さまにダイレクトに伝わる。
つまり、売り手の想いと買い手の想いがマッチしているのだ。
買い手は品質の良い商品を安くオーダーメイドで購入できる。
29800円からと、体型に関係なく作れるのでsadaファンがリピートと口コミにより拡散しているのだろう。

実にシンプルだが、売り手側の勝手な解釈で自分達の技術やサービスを一方的に押し付けている場合が少なくない。

経営参謀の代表A氏から提言された言葉が腹に落ちた。
早川さん、天然村はやっている取り組みや理念は素晴らしいが、それだけでは多くの方々の行動には結びつかないですよ。
楽しさや、面白さみたいなワクワク感が人を動かす要素の最も大きな表の顔、素晴らしい取り組みや理念は裏の顔だと。
本当に素晴らしい場所なのにもったいないですね、彼は実際に天然村に来て体験しているので、1人のお客さまとしての率直な想いなのだ。

互いの想いを一致させるのは、矢印を自分に向ける必要がありそうだ。

働き方

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オフィスで打ち合わせをしていた時に突然と現れた人物がいた。
アゴラというオープンスペースだったので、直ぐに産休中のOだとわかった。
元気な赤ちゃんを連れたOは母親になって久しぶりに私の前に姿を見せてくれた。
彼女はエンジニアの要素を合わせ持ち、マーケティング事業部に所属し、技術屋としての得意技を持つ人物である。
彼女が育児をしながら、職場復帰するまでのリハビリ期間をどのように設定し、準備運動をリモートワーク出来る仕組みにし、軌道にのるまでの働き方を会社としてバックアップしたいと考えている。

育児と仕事の両立は、働き方を柔軟に対応する事と、ビジネスモデルを多面的に捉える事で、今ある資源から新たな価値を持つビジネスに発展する可能性がある。

イコムにはもう1人育児休暇中のR、ご主人が宮崎県に転勤になり現地からリモートワークしているSがいる。
Sも育児休暇に入るのも自然な流れだろう。
また、Yは来月に挙式を控える新婚で、女性が多いイコムにとって、持続可能性ある女性がエネルギーを無駄に消費しないような、効率化した取り組みにチャレンジしている。

一方で、型と型血という区別は別な領域として存在するのは見逃せない事実である。
それは、型が出来上がらないうちは、次のフェーズに移行しても通用しないという現実がある。
例えるなら、スポーツの野球やサッカーなども、最初は基本を徹底的に習得するために、同じプロセスを反復継続することにより型が仕上がる。
これは、3年は絶対やる期間として定めるのではなく、あくまで目安とする期間であって、個人差があるので、習得が早い者はその限りではない。
これは、現代スポーツの世界でも当てはまるだろう。

型が出来たら、型に血を注ぐために自分なりの型に昇華するフェーズに入る。
野球やサッカーも一流選手は型にはまったスタイルではないのが魅力として映る。
ビジネスマンも型が出来て、そのまま血を注ぐことなく何年も過ごしている、ただの人は多いだろう。

イコムでは、型血として個を表現するのは基本的に無制限にしている。
もちろん、OBゾーンは設定しているが、個性を発揮するのにくだらない決め事は一切廃止している。
決まった時間に出社したり、お昼時間にランチをするとか、皆んなと一緒の働き方を推進していない。
従って、タイムカードなし、日報なし、直行直帰当たり前、いつ何時休みOK、髪が金髪の女子、ロン毛&ヒゲの連中がオフィスにいたりするので、慣れない人が会社に来ると、その自由さに驚く方が少なくない。
また、外国人採用をしているので、今後はアフリカ人やインドやイスラム系の若者が混在しているオフィスになっているだろう。
それはまるで、六本木の無国籍料理店が朝まで賑わっているごとく、エネルギーに満ち溢れた
オフィスになっているだろう。

型血に昇華した個の立った集団はどこまでいくのだろう。
電車に乗りながら妄想して薄笑いを浮かべていたら、前に座っていた女子高生から異様な人物を見る視線を感じた。
私は、意に介さず妄想を続けた。

ひなびた温泉街

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実にひなびた街だった。
普通に受ける印象は、活力が失われた既に終わっている街に映るだろう。
一方で、昔からの街並みが今でも変わらずに整っている希少な環境と言えるだろう。
道に面した人家の群れは温泉街と言うよりも、ひっそりと湯治に訪れる田舎らしい静かで落ち着いた雰囲気の街だった。
有名な温泉街で人が混雑しているより、じっくりと湯治をしてエネルギーを養う場合には、このような静かな環境で、抜群な泉質を体験すれば、ここを選択する分けが理解できるだろう。

宮城県の東鳴子温泉、大沼旅館を訪れた。
知る人ぞ知る東日本で随一の泉質を誇る鳴子温泉地域である。

Y氏から紹介され五代目の大沼社長に会いにやってきた。

宿の入り口ドアを開けると玄関に大沼社長が出迎えてくれていた。
エネルギーの強い方で色々と話を伺うことが出来た。

彼がこの世に生まれてきた使命は、湯治で人々の人生を幸せにすることにあり。
私の解釈だが、大沼さんと話しをしていると湯治に魂が共鳴しているのがわかる。

離れの山荘にご案内いただき、この時期にここでしか収穫出来ない、大きなナメコをいただいた。本当に大きなナメコで、甘みのある新鮮でぬるっとした食感は抜群に美味しかった。

ここに隣接する露天風呂は、山の中にある本物の露天風呂だった。
おまけに、温泉のエネルギーが強く、ぬめりのある柔らかな泉質は山からの水が地下に浸透して鉱石に交わって吹き出す何十年サイクルで循環している温泉なので、ちょっとやそっとでは、この感じはお目にかかれないだろう。
私の中では、草津、箱根、登別、秋田玉川、別府、湯布院、のどれよりも勝る本当にすごい温泉だった。

大沼さんが、湯治にかける想いがまったく理解できる。
しかも、ひなびた感じがよりいっそういい。
地域の資源は素晴らしいものがある。
それを見落としているのが、地域に住んでいる人々は意外に多いのだ。
自分たちの地域の宝になんの価値も見出していないのが普通と言っていいだろう。
大沼さんは、それを認識している少数派の地域住民なのだ。

何か共通するものがあり、一緒に取り組める事が出来るのではないかと、地ビールを御馳走になりながら感じていた。
彼曰く、変わり者だと自分を評していた。
確かにテンションが普通のレベルでない。
ひなびた温泉街に湯治で人々を幸せにするのが私がこの世に生を受けた理由だ!
こんな感じのオーラを放っているので、確かに変わり者だろう。
私が逆の立場だったら、五代目とは言え、旅館業を通じてこのひなびた感で商売をする気になると言えば、それは嘘になるだろう。
それは、ドラゴンボールが揃って神龍に願いを叶えてもらいたくなる心境になる。
あるいは、ワンピースで例えるならヴィンスモーク家とビックマムの縁談話しで、サンジが茶会を断れず、土俵際に追い詰めらた格好に近いかも知れない。

例え話が飛躍し過ぎたかも知れないが、それほどまでの逆境から湯治を通じて地域活性化を成し遂げようとする心意気に感じ入ってしまった。

お披露目会

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いつからかだろうか。

無意識に自らを目立たないようにしてきたようだ。

学生時代は音楽祭や各種イベントでエンターテイナーぶりを発揮していた。
むしろ、主張が過ぎて先生から殴られたり、問題児扱いされていた。
社会人になっても、その振る舞いは変わらず、宴会やら場を盛り上げる役目を担っていた。
服装にしてもセンスは別にして明るい色や派手な格好を好んで選んでいた。

それが、ある時期から徐々に変わってきたようだ。
20代中盤くらいからだろうか、なるべく目立たないようにしてきたようだ。
いわゆる日本人のDNA的な自らの主張を抑制するような、無難に治める傾向が徐々に定着して小さな枠にまとまってしまったようだ。

今回のお披露目会のような、外部に向けて目立った行為をするのは今だかつてなかった。
23年になるが何周年記念のようなイベントもまだ一度もやってない。
イコム創業以来初めての試みになった。

きっかけになったのは、外部から見た時にもっと目立った方がより結果に繋がるし、時代がもっと自己主張をして行くゾーンに入ったとの感触を得たのが動機となった。

今回のお披露目会の目的は新しいオフィスを全て公開し、全体の雰囲気を感じていただく機会にするのが表向きの趣旨だったが、入社2年目のS社員が常務代理として、実質全社員を牽引して新しいチームイコムを組成するべく、Sのお披露目会が本来の目的とするところであった。

どんな趣の会にするのか、当日まで知らなかった私は朝出勤してみると、各社員が各々楽しんでいて、来訪者への歓迎の雰囲気を自然と創り出していた。
それは、やらなければならないという受動的なものとは違い、自分たちチームで仕事を創り出している能動的なものだった。
表現を変えると、仕事をやっているフリから、自ら仕事を生み出している、まさにトランスフォームを垣間見た瞬間だった。

普段の仕事においても、こんなイメージでやっていけば、かなり面白い会社に変容するだろう。
実際に各メディア媒体からの取材やPR映像の製作に協力したいオファーを幾つか受けた。
シフトしてから間もなく、このような要請をいただくのも、前面に目立つ動きをしたからキャチアップが可能になったわけだ。

まさに、自分たちの主張を前面に出し、Sを中心に若いエネルギーを集約すれば、それはまるでドラゴンボールの元気玉ように不可能と思われる事も突破出来るに違いないだろう。

イコムの今後の動きに注目していただきたい。

西新井プロジェクト

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関原商店街に初めて来てから約2週間、私を含めて3人のスタッフで西新井に1週間お試し移住してみた。

宿はユースホステルで宿泊は外国人がほとんど、ドミトリーを中心としたシェアハウスのようなホテルだった。
いわゆるバックパッカーが中心の顧客で賑わっていた。

パリから帰国した翌日に移住したので、そのギャップに戸惑いながら、マッチ箱のような部屋から早く脱出したい気持ちでいっぱいだった。
何でこんなところにいるのだろうと、時差ぼけ状態の中で呆然と狭い部屋の窓から景色を見ていた。

ホテルは駅東口より徒歩2分の立地にあり、西口の関原商店街まで徒歩で15分程かかる。
ここに決めた理由は、外国人が西新井に来た目的や暮らしぶりを間近で見られるためだった。
しかし、意外だったのが、ホテルのスタッフでも関原商店街の存在を知らないのだ。
外国人のお客様向けに街のスポットを紹介したり、寿司屋で握りのワークショップのイベントをやっていたので、地域に詳しく当然の事のように関原商店街の魅力を熟知していると思ったが、あにはからんや、私がホテルのスタッフに話をすると喜んでだ様子で、休憩時間に行ってみますという有様だった。
おまけに宿泊している外国人はコンビニ弁当を食べている様子が多く見かけられた。

私は、初めて関原商店街を訪れた時には衝撃を受けた。
コロッケ30円、餃子10個入り290円、天ぷら90円など惣菜店が安くて美味しい個店があちこちに見られる。
下町に日本の暮らしの原点があり、粋な人達が互いにおせっかいしながら暮らしている素晴らしい文化が残っていた。

地元の人々に触れ合う場所として夜の飯はまたとない機会になる。

酒を交えて、店の人からお客さんまで一帯となり会話に花が咲き、まるで家族のようなコミニティが形成されていた。

色んな店に行ったが、歴史が長く中には創業70年の中華料理店があった。
特に印象的だったのが鹿島寿司で、江戸時代には屋台として寿司が日常的に食された文化だったが、それを彷彿させるかのような雰囲気の店だった。
もちろん、屋台ではないが昭和初期の台所で握っているかのような、カウンター10席ほどに囲まれた狭い空間で72歳の大将と少々腰が曲がった女将さんの2人が所狭しと忙しそうに仕事をしている。
コスパは抜群に良くて、地元の人で毎日賑わっていた。

今回のお試し移住でわかった事は、粋な人々との暮らしは楽しく、心和むコミニティが存在する。一方で、都会のおしゃれな空間は個として楽しめるが、店内の見知らぬ人と突然と意気投合して、あっと言う間に店全体がコミニティー化してしまうような事はない。

habitationスタイルとしては、どちらも有りだし違う場所を行き来するには、むしろギャップがあって楽しめると思う。

私が外国に行った時には、関原商店街にある個店のような店があれば是非とも行きたい空間である。

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